日本橋は、三井グループ発祥の地です。1673年、越後屋呉服店がこの地に暖簾を掲げたのが始まり。江戸の昔から木と商いが息づいてきたこの街で、いま三井不動産が進めているのが、都心オフィスや商業施設への木造・木質化の本格導入です。鉄とガラスの高層ビルが林立する東京の真ん中で、なぜあえて木なのか。その背景と現在地を、確かな事実をたどりながら整理します。
脱炭素という、避けて通れない宿題
三井不動産は2050年カーボンニュートラルを掲げ、Scope1+2の排出量を2030年までに2019年比46%削減する目標を設定しています。年間の建設投資が6,000億円を超える規模のデベロッパーにとって、建物そのものをどう脱炭素化するかは避けて通れない宿題です。そのなかで木造化は中核の一手になります。延床1万平方メートル級のオフィスを鉄骨造から中層木造ハイブリッドに置き換えると、上部躯体由来のCO2はおおむね3〜5割削減でき、さらに木材1立方メートルあたり約0.8トンのCO2を構造体に固定し続けられるからです。
動機は環境性能だけではありません。木のぬくもりを感じる空間は、IT・クリエイティブ系企業や高級ホテルブランドからの需要が高く、賃料や宿泊料に数%のプレミアムが乗るという報告もあります。加えて、日本橋という街そのものが江戸期から続く木造文化の土地であり、三井発祥の地でもある。街づくりのコンセプトと木造化がきれいに重なるのです。背景には、三井ホームがツーバイフォー住宅で40年以上培ってきた木造の工学知見をグループ内に持つ、という強みもあります。
すでに街に立っている木質空間
三井不動産は2004年から「日本橋再生計画」を段階的に進めてきました。その成果のなかに、木を前面に出した空間がいくつもあります。2019年竣工のコレド室町テラス(地上26階・延床約16.9万平方メートル)は、低層の商業ゾーンに台湾発の「誠品生活日本橋」を迎え、国産杉・檜の天井ルーバーが木質感あふれる空間を演出しています。隣接する福徳神社・福徳の森と一体になった街区づくりは、来街者が肌で木を感じられる場として高い評価を受けてきました。
京橋エリアでは、2016年竣工の京橋エドグラン(地上32階・延床約11.7万平方メートル)が代表例です。低層の商業ゾーンには宮崎県産飫肥杉や奈良県産吉野杉などの地域材がフローリングや壁面に使われ、エントランスロビーに落ち着いた木の表情を与えています。京橋エリアは三井不動産と東京建物が共同で「京橋彩区」として再開発を進めており、街区全体に木質の要素が広がりつつあります。
これらに共通するのは、構造をすべて木にするのではなく、まず人の目と手に触れる内装・サイン・什器から木質化を積み重ねていく、という現実的なアプローチです。商業中心地という制約のなかで、確実に体感価値を高める手堅い戦略といえます。
地域材を使うということ
三井不動産の都心木造で見逃せないのが、各地の地域材を引き寄せている点です。奈良県産吉野杉、宮崎県産飫肥杉、岐阜県産東濃檜、静岡県産天竜杉、和歌山県産紀州杉——全国の銘木が、都心のビルの内装やホテルの客室に使われています。三井ガーデンホテル系列では、各地の地域材を客室やロビーに採用し、土地の物語を宿泊体験に織り込むブランディングを展開しています。
これは単なる意匠の話ではありません。都心の大規模需要が地方の林業・製材業に仕事を生み、SDGsの目標(つくる責任つかう責任、気候変動対策、陸の豊かさ)にも直結します。調達にあたっては、林野庁のクリーンウッド法(合法伐採木材等流通利用法)に基づくトレーサビリティ管理も前提とされています。都心と地方を木でつなぐ、ささやかでも確かな循環です。
純木造の先頭を走る、大林組Port Plus
都心商業床の木造化を語るうえで欠かせない参照点が、大林組が2022年に横浜市中区で完成させたPort Plusです。地上11階・延床約3,502平方メートルの研修施設で、構造材重量比でおよそ8割を木が占める、日本初の高層純木造耐火建築。基礎を除く柱・梁・床をすべて木で構成し、耐火集成材で1〜3時間耐火を実現したこの建物は、「木で高層は建つ」という事実を実物で示した技術のショーケースになりました。
業界全体を見渡せば、2019年の銘建工業真庭本社(CLT・5階)、2022年の大林組Port Plus、2024年竣工の竹中工務店FLATS WOODS木場(地上12階・住宅)と、純木造・木造ハイブリッドの実例が着実に増えています。研究施設や住宅が先行するなか、三井不動産が担おうとしているのは「商業床としての木造をどう事業として成り立たせるか」という役割です。日本橋・京橋という日本有数の商業地でこれに取り組むこと自体が、他の事例との明確な違いになっています。
立ちはだかる三つの壁
とはいえ、都心の中層木造には越えるべき壁があります。第一に防火。防火地域の中高層では耐火構造が必須で、耐火集成材はメーカーごとに個別の大臣認定を取得する必要があります。1時間耐火、2時間耐火の認定材はまだ種類が限られ、入手性や単価、納期に制約が残ります。第二に規制。容積率や斜線制限といった一般規制に加え、消防法・避難規定で木造特有の配慮(避難動線の二重化や排煙設備の追加など)が求められます。第三にコスト。同規模の鉄骨造に比べてイニシャルコストは増えがちで、耐火集成材の材料単価は鉄骨H鋼より高く、工期短縮の効果と相殺してもなお割高になるケースが多いのが実情です。
こうした課題に対して、三井不動産はグループ内での設計経験の蓄積、主要集成材メーカーとの安定調達、保険・融資条件の改善交渉などを通じて、一つずつ事業性のハードルを下げようとしています。林野庁のウッド・チェンジ協議会など業界団体への参画を通じた規制緩和・標準化の働きかけも、その一環です。
各社が競う、木の街づくり
木造化は三井不動産だけの動きではありません。三菱地所は丸の内エリアで木質内装を展開し、大手町タワーの木質執務空間がサステナブル建築アワードで表彰されています。住友不動産は住友林業と共同で、地上70階・高さ350メートルの純木造超高層を目指す「W350構想」(2041年完成目標)を推進中。東急不動産は渋谷の再開発で木質ファサードやロビーを採り入れています。三井が実装の事例数で先行し、住友林業がW350で技術のブレイクスルーを狙い、三菱地所が丸の内全体の統合計画を描く——競争の軸はそれぞれ異なりますが、業界全体が木へと向かう潮流は、もはや後戻りしない流れになりつつあります。
世界に目を向ければ、ノルウェーのMjøstårnet(2019、18階・85.4m)、カナダのBrock Commons(2017、18階)、オーストリアのHoHo Wien(2020、24階)など、中・高層木造はすでに各地で実現しています。日本の木造技術が独自なのは、地震と台風という厳しい条件のもとで、耐震・制震技術と統合された設計を磨いてきた点です。都心の木造化は、その日本ならではのノウハウを実地で鍛える舞台でもあるのです。
よくある質問
Q. 三井不動産はなぜ木造に力を入れるのですか?
2050年カーボンニュートラルの達成、木質空間によるオフィス・ホテルの差別化、日本橋発祥地としての歴史的文脈、SDGsへの対応——この4つが主な背景です。脱炭素という宿題と、街の個性づくりが木で重なるのが大きいといえます。
Q. 中層木造の安全性はだいじょうぶですか?
耐火集成材は1〜2時間耐火の大臣認定を取得したうえで使われ、燃えしろ設計によって火災時にも構造を保てるよう配慮されています。木造は躯体が軽いため、耐震面ではむしろ有利な特性も持ちます。
Q. 木質空間を体験できる建物はありますか?
コレド室町テラスや京橋エドグランは商業施設として誰でも訪れることができ、地域材を使った内装を間近に体験できます。三井ガーデンホテル系列なら、客室で地域材のぬくもりに泊まって触れることもできます。

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