浸透圧ポテンシャル:樹液上昇の物理学とCohesion-Tension Theory

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結論先出し

  • 浸透圧ポテンシャル(osmotic potential、Ψo)は溶質濃度による水のエネルギー低下を示す物理量。常に負(≤0 MPa)で、塩害地・沿岸・施肥土壌・凍結融解期に樹木の吸水を支配する主要因。
  • 樹木の樹液上昇(最高100m級)は蒸散流による負圧(−2 〜 −5 MPa、極端時 −8 MPa)が駆動。物理学的にはCohesion-Tension Theory(凝集張力説、Dixon & Joly 1894)が基礎理論。
  • 樹高物理限界はキャビテーション制約から約120m。実測上はSequoia sempervirens “Hyperion” の115.92m(2006年計測、Redwood National Park)が世界最高。
  • 応用:メープルシロップ(春先の根圧+糖2-3%、Ψo ≈ −0.3 MPa)、ウルシ(カット応答による樹脂滲出)、松脂(タッピング法、年間1株3-5kg)。

樹木が地表から数十〜100m超の樹冠まで水を運ぶメカニズムは、樹木生理学の最も根本的な疑問の一つ。前D11記事のマトリックポテンシャルに続き、本稿では浸透圧ポテンシャルと樹液上昇の物理学を整理し、メープル・漆・松脂の樹液採取という実用面まで一気に通します。

目次

クイックサマリ:浸透圧ポテンシャルと樹液上昇

項目 数値・内容
浸透圧ポテンシャル(Ψo 溶質濃度による水のエネルギー低下、常に ≤ 0 MPa
純水(無溶質) Ψo = 0 MPa
典型的細胞質 Ψo = −1.0 〜 −3.0 MPa
海水(35‰) Ψo ≈ −2.5 MPa(25℃)
樹液上昇の駆動力 蒸散による負圧 −2 〜 −5 MPa(夏季ピーク −8 MPa)
樹液流速(針葉樹) 0.5 〜 2 cm/h(仮道管)
樹液流速(広葉樹散孔材) 1 〜 6 cm/h
樹液流速(広葉樹環孔材:オーク等) 16 〜 45 cm/h(Tyree & Zimmermann 2002)
主要理論 Cohesion-Tension Theory(凝集張力説、Dixon & Joly 1894)
樹高物理限界 約120 m(キャビテーション制約、Koch et al. 2004)
世界最高樹 Sequoia sempervirens “Hyperion” 115.92 m
出典・参考

水ポテンシャルの基礎:4成分の合算で決まる

植物体内の水の動きは、自由エネルギーの差で決まる水ポテンシャル(Ψw、単位 MPa)の勾配に従います。Ψw は4つの成分の和:

Ψw = Ψp + Ψo + Ψm + Ψg
Ψp:圧ポテンシャル(細胞膨圧、正値)
Ψo:浸透圧ポテンシャル(溶質、負値)
Ψm:マトリックポテンシャル(吸着、負値)
Ψg:重力ポテンシャル(高さ100mで +1 MPa)

木部の水は通常 Ψp < 0(負圧、引っ張り状態)で運ばれ、Ψo はほぼ0に近い(イオン濃度希薄)。一方、葉の細胞質では Ψo = −1.5 〜 −3 MPa が主成分。木部と葉の役割分担が水ポテンシャルの設計図です。

van’t Hoff 式(希薄溶液の近似)では:

Ψo = −iCRT
i:解離係数(NaClで2、スクロースで1)
C:溶質モル濃度(mol/L)
R:気体定数 8.314×10-3 L·MPa/(K·mol)
T:絶対温度(K)

例:1 mol/L スクロース水溶液は25℃で Ψo = −1×1×8.314×10-3×298 = −2.48 MPa。糖度11%(メープル原液)なら約 0.32 mol/L で Ψo ≈ −0.79 MPa。

蒸散と圧力差:樹液はなぜ上に向かうのか

蒸散流(transpiration stream)の駆動力は、葉と土壌の水ポテンシャル勾配。典型的な夏季日中の樹冠(地上30m)の収支:

位置 Ψw(MPa) 主成分
大気(湿度50%、25℃) −95 MPa 蒸気圧不足
葉(気孔近傍) −2.0 〜 −2.5 蒸散による負圧
幹中部(地上15m) −1.2 〜 −1.5 木部負圧+重力
−0.5 〜 −0.8 根圏吸水
土壌(圃場容水量) −0.03 〜 −0.1 マトリック

葉と大気の差は90 MPa超ですが、気孔の抵抗で蒸散速度が制御され、木部内の水柱は破断せず連続性を維持。森林総合研究所の樹液流計測(Granier法・熱拡散プローブ)では、スギ大径木で日量200-400 L/個体、樹齢80年のクスノキで日量500 L超が記録されています。

凝集張力説(CT説)の3要素

1894年にDixon & Joly が提唱した現代の主流説は、以下の3要素で成立:

  1. 蒸散による引き上げ:葉の気孔から水蒸気が大気へ放出され、葉細胞内の Ψw が低下。
  2. 水分子の凝集力:水素結合により水柱は最大約30 MPaの引っ張り張力に耐える(実測では−15 MPa程度で破断)。
  3. 付着力(adhesion):道管・仮道管の壁面(セルロース・リグニン)に水が貼り付き、毛管的補助。

京都大学農学部・東京大学農学生命科学研究科の樹木生理研究では、圧力室法(pressure chamber、Scholander 1965)で実測した木部水ポテンシャルが、CT説の予測(葉位−2 MPa、根 −0.5 MPa)とよく一致することが示されています。

キャビテーションと塞栓:木部の脆弱性

樹液上昇の最大の脆弱性はキャビテーション(cavitation)=木部水柱の破断と気泡形成。発生条件:

  • 水ポテンシャルが樹種特異の閾値以下に低下(P50:木部導水率が50%失われる Ψ)
  • P50 の樹種比較:シラカバ −1.5 MPa、ブナ −3.0 MPa、コナラ −3.5 MPa、スギ −4.0 MPa、ヒノキ −4.5 MPa、Pinus edulis −4.0 MPa(Choat et al. 2012 Nature
  • 気泡が道管に充満すると塞栓(embolism)となり、その道管は永続的に水輸送を失う

樹木は道管の代替経路新規二次木部の形成で限定的キャビテーションを補修。針葉樹は仮道管壁の有縁壁孔(bordered pit)のトーラス・マルゴ機構で気泡侵入を物理的に遮断する高度な防御を持ちます。重度のキャビテーションは枝・幹の枯死(drought-induced mortality)を招き、地中海・北米西部・オーストラリアで広域樹木死亡として観測されています。

樹木の理論的最大高度:Koch et al. 2004

キャビテーション制約から、樹木の理論的最大高度は約122-130 mと推計されています(Koch GW et al. 2004 Nature 428:851-854):

樹種 世界最高記録 所在
Sequoia sempervirens(コーストレッドウッド)”Hyperion” 115.92 m(2006) 米カリフォルニア Redwood NP
Eucalyptus regnans “Centurion” 100.5 m 豪タスマニア
Sequoiadendron giganteum “General Sherman” 83.8 m(体積では世界最大) 米セコイア国立公園
Pseudotsuga menziesii “Doerner Fir” 99.4 m 米オレゴン
Picea sitchensis 96.7 m 米カリフォルニア

限界要因は、樹冠での Ψw 低下(重力 +0.01 MPa/m+摩擦)が葉細胞の膨圧維持限界(−2 MPa前後)を超えるため。Hyperionですら樹冠の葉は通常の半分のサイズしかなく、生長速度も鈍化しています。

樹液上昇のメカニズムと水ポテンシャル 凝集張力説と樹高別の水ポテンシャル勾配。 樹液上昇のメカニズム(凝集張力説) 水柱上昇 水ポテンシャル 葉:-1.5 〜 -2.5 MPa 幹中部:-1.0 〜 -1.5 MPa 根:-0.5 〜 -1.0 MPa 土壌:-0.05 〜 -0.5 MPa 理論 Cohesion-Tension Theory Dixon & Joly 1894 物理限界 約120m (キャビテーション閾値) 最高樹 レッドウッド115m 根からの吸水 出典: Dixon & Joly 1894, Koch et al. 2004 Nature
図1:樹液上昇のメカニズム(出典:Dixon & Joly 1894, Koch et al. 2004)。

樹液採取の実用例(1):メープルシロップ

春先の樹液採取は、浸透圧ポテンシャルと根圧の実用例の代表格。

  • 原理:晩冬〜早春、夜間気温 −5℃ 前後で樹幹が凍結し、日中 +5℃ 前後で融解。凍結融解サイクルにより幹内負圧(夜)→正圧(昼)の振動が発生。これが樹液を能動的に押し出す(Tyree 1983 のステム圧力モデル)。
  • 樹種:サトウカエデ Acer saccharum(糖度2-3%)、ブラックメープル A. nigrum、北海道のイタヤカエデ A. mono(糖度1-1.5%)。
  • 樹液の Ψo:糖2.5%(約0.073 mol/L)で −0.18 MPa。シロップ濃縮後(66.9% 糖)では −18 MPa以下。
  • 採取量:1株あたり1シーズン40-80 L、シロップ換算で1-2 L(40 L樹液 → 1 L シロップ)。
  • 世界年間生産量:カナダ+米国で約7,000万L(2023年、Statistics Canada)。ケベック州が世界の72%を占める。
  • 日本の事例:北海道・東北のイタヤカエデでクラフトシロップ生産。1株年間20-30 L程度(糖度低めのため濃縮効率が悪い)。

樹液採取の実用例(2):ウルシ(漆)

ウルシ(Toxicodendron vernicifluum)の樹液は、樹皮を傷つけたとき分泌型樹脂道から滲出するウルシオール(urushiol)含有のラテックス。浸透圧というより、創傷応答(wound response)が主機構。

  • 採取法:6月下旬〜10月、樹齢10-15年の樹皮に水平な切り傷(殺し搔き法 / 養生搔き法)を入れ、滲み出た液を木製ヘラで掻き取る。
  • 採取量:1株1シーズン150-200 g(殺し搔き法では1本枯らして約400 g)。
  • 国内生産:岩手県浄法寺町が国内産生漆の約7-8割を生産(年間約1.5 t)。岩手大学農学部・浄法寺漆生産組合が技術継承。
  • 用途:漆器・建造物の漆塗り(金閣寺・日光東照宮など、文化財修復に必須)。

樹液採取の実用例(3):松脂とゴム樹液

樹種 採取物 採取量/株/年 主産地
アカマツ・クロマツ(Pinus densiflora, P. thunbergii) 松脂(生松脂、テレピン油原料) 3-5 kg かつて全国、現在中国・インドネシアが主
パラゴムノキ(Hevea brasiliensis) 天然ゴムラテックス 1.5-2.5 kg(乾燥重) タイ・インドネシア・マレーシア
白樺(Betula platyphylla) 白樺樹液(飲料・キシリトール原料) 50-300 L(10日間程度) 北海道・北欧・ロシア
サトウヤシ(Arenga pinnata) パームシュガー原液 2-4 L/日 東南アジア

松脂のタッピングは、樹皮を V 字に削いで樹脂道から滲出させる方法(戦時中は航空燃料代替として日本でも大規模実施)。ゴムタッピングは早朝、樹皮の韌皮部を斜めに削ってラテックスを採取し、乳液はラテキシフェル(latificer)細胞網からの圧力で流出します。

樹液流・水ポテンシャルの測定法

測定法 対象 精度・特徴
圧力室法(Scholander pressure chamber) 葉・小枝の Ψw ±0.05 MPa、現場標準
サイクロメーター(thermocouple psychrometer) 葉・土壌の Ψw ±0.01 MPa、実験室向き
Granier 法(熱拡散プローブ) 樹液流速(cm/h) 連続測定、森林総研で標準化
熱パルス法(heat pulse velocity) 樹液流速 低速流(<2 cm/h)に強い
Sap flow gauge(Stem heat balance) 樹液流量(g/h) 小径木向き
MRI / X線CT 木部水分布・塞栓 非破壊、研究用途
超音波エミッション キャビテーション発生 リアルタイム検出

細胞内浸透圧の生理学的役割

機能 関与物質・機構
膨圧維持 K+、糖、有機酸の蓄積
気孔開閉 孔辺細胞のK+流入で Ψo 低下→膨圧上昇→開口
耐凍性(耐寒性) スクロース・ラフィノース・プロリンの濃縮で凍結点降下(−5〜−40℃)
耐乾性 オスモライト(プロリン、グリシンベタイン、糖アルコール)蓄積
糖の長距離輸送 師管圧力流(pressure flow、Münch 1930)
耐塩性 液胞へのNa+隔離、塩腺からの排出

気候変動と樹液上昇

  • VPD(飽差)増加:気温上昇1℃で大気の水蒸気要求が約7%増(クラウジウス・クラペイロン関係)→ 蒸散ストレス増。
  • 干ばつ頻度・強度増加:木部 Ψw が P50 を超えて低下しキャビテーション発生。
  • 大樹木の枝枯死・全体枯死:米西部のピニョンマツ大量枯死(2002-2003、Pinus edulis 数千万本、Breshears et al. 2005 PNAS)、豪南東部のユーカリ枯死(2018-19)など。
  • メープルシロップ産業への影響:USDA Forest Service の予測では、2100年までにサトウカエデの分布北上で米国北東部の生産適地が約15-30%縮小。

よくある質問(FAQ)

Q1. なぜ樹木は130m以上にはなれないのですか

A. 主因はキャビテーション制約と樹冠での葉膨圧維持の限界。重力ポテンシャルが10mごとに +0.1 MPa 必要となり、120-130mで葉細胞の Ψw が膨圧消失閾値(−2.5 MPa前後)に達するため、生長そのものが止まります(Koch et al. 2004)。

Q2. 凝集張力説はどう実証されたのですか

A. (1) 圧力室法による木部負圧の直接測定(Scholander 1965)、(2) 樹幹切断時の水柱破断と空気侵入の音響観測、(3) 超音波エミッション法によるキャビテーション瞬間検出、(4) MRIによる木部水分布の可視化など、多角的に実証されています。

Q3. キャビテーションを起こした樹木は回復しますか

A. 限定的なら回復可能。針葉樹は壁孔のトーラス機構で気泡拡散を防ぎ、広葉樹は新規二次木部形成で代替経路を確保。重度・広範なキャビテーションは枝・幹の枯死を招きます。

Q4. メープルシロップが採れるのは何月ですか

A. 北米では2月下旬〜4月上旬の約4-6週間。夜間気温−5℃前後、日中+5℃前後の凍結融解サイクルが必須条件。北海道のイタヤカエデでは3月中旬〜4月中旬。

Q5. 漆と松脂の樹液採取は環境負荷が高いですか

A. 殺し搔き法(漆)は1本枯死を伴いますが、植林ローテーション(10-15年生)で持続可能。タッピング法(松脂)は適切な深さ・頻度なら樹木自体は維持可能。FSC認証ではタッピング深度・周長比制限が定められています。

Q6. 浸透圧調整物質(オスモライト)とは何ですか

A. 細胞内に蓄積して Ψo を低下させ、低水分環境でも細胞活性を保つ物質。プロリン、グリシンベタイン、トレハロース、糖アルコール(マンニトール、ソルビトール)等。耐寒・耐乾・耐塩性付与の生理機能を担います。

Q7. 樹木の樹液は人体にも有用ですか

A. メープル・白樺・カエデ樹液は飲料・甘味料として食用利用、ヒノキ精油は芳香療法、漆は伝統工芸。塩・鉱物質・糖を含み、地域特産品として価値があります。ただしウルシは皮膚かぶれ(urushiol皮膚炎)の原因物質を含むため注意。

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