北極圏のツンドラといえば、苔と地衣と背の低い草が広がる、樹木のない静かな大地——そんなイメージがあるかもしれません。ところがいま、その景色が大きく塗り替わりつつあります。気温の上昇とともにカバノキやヤナギ、ハンノキといった低木が背を伸ばし、苔や草本を覆い隠して広がっていく。これが「ツンドラの低木化(shrubification)」です。一見ささやかな植生の変化に見えて、実は地球全体の炭素循環と気候の行方を左右しかねない、大きな意味を持っています。
なぜ低木が増えるのか
背景にあるのは、北極圏で起きている激しい温暖化です。北極は世界平均の3.8〜4倍もの速さで暖まっており(Rantanen et al. 2022)、1979〜2021年で年平均気温が3.0〜3.5℃も上昇しました。気温が上がれば春の雪解けが1〜3週間早まり、植物が光合成できる生育期間が40年で10〜18日も延びます。低木にとっては、成長できる時間が増えるということです。
さらに後押しするのが、足元の変化です。永久凍土が解けて夏に融ける土の層(活層)が厚くなり、1990〜2020年で30〜80cm増えました。深く根を張るヤナギ(根の深さ1〜2m)にとっては、新たな生育空間が開けたことになります。加えて、凍土が解けると中に蓄えられていた窒素が放出され、土の養分が2〜4倍に増える地域もあります。背の高い低木は、こうして養分と光を得て、5〜30cmの苔や草本を一気に追い越していきます。下層に届く光は50〜90%も減り、競争はますます低木に有利に傾いていくのです。
低木化が気候を「さらに」暖める
ここからが本題です。低木化は、それ自体が気候変動を加速させる「正のフィードバック」を生み出します。仕組みを順を追って見てみましょう。
まずアルベド(反射率)の低下です。明るい苔や雪は太陽光をよく反射しますが、暗い色の低木は光を吸収します。冬の積雪期でも、低木が雪面から突き出すことでアルベドは0.7〜0.85から0.5〜0.65へ下がります(Sturm et al. 2005)。すると地表が暖まり、夏の地表温度は1.5〜3.0℃上昇。これが永久凍土の解凍をいっそう進めます。
そして最大の懸念が、解けた凍土からの温室効果ガス放出です。北極圏の永久凍土の上層3mには、1,460〜1,600 GtCもの炭素が眠っています(Schuur et al. 2015)。これは大気中のCO2に含まれる炭素のおよそ2倍にあたります。凍土が解けると、湿った場所からはメタン(CH4)が、乾いた場所からはCO2が放出されます。北極圏の湿地からのメタン放出は年間15〜50 TgCH4にのぼり、メタンの温室効果はCO2の28〜34倍と桁違いに強力です。IPCCの第6次評価報告書は、高排出シナリオ(SSP5-8.5)で2100年までに凍土から累積130〜160 GtCが放出されると見積もっています。
すでに3割が「緑化」している
こうした変化は、もはや理論上の話ではありません。1972年から続くLandsat衛星や、MODIS、近年のSentinel-2による植生指数(NDVI)の解析から、実態が見えてきています。Berner らの研究(2020)によれば、1980年代以降、北極圏陸地の約30%でNDVIが上昇(緑化)し、低下(褐色化)したのは4.6%にとどまりました。
変化には地域差があります。もっとも顕著なのはシベリア東部とアラスカで、永久凍土が深く更新世由来の高炭素凍土(Yedoma)を抱えるシベリアは、解凍リスクが特に高い地域です。一方、カナダ高緯度やグリーンランドは変化が緩やかです。北欧では、サーミの人々によるトナカイの放牧が食害圧となって、かえって低木化を抑える効果も観察されています。長期観測サイト(アラスカのToolik Lake、スウェーデンのAbisko など、30〜50年の記録)では、ヤナギやカバノキの高さが年に1〜5cm伸び、土壌温度が10年で0.3〜0.8℃上がり、活層が年1〜3cmずつ厚くなる傾向が一貫して捉えられています。
厄介なのは、この変化が後戻りしにくいことです。いったん低木化すると、土壌の温度・水分・養分の循環が低木優占型に固定されてしまい(ヒステリシス)、元の苔と草本のツンドラに戻すのは今の技術では困難です。IPCCはこれを、気候系が閾値を越えると自己強化的に不可逆な変化が進む「ティッピングポイント」の一つとして警戒しています。北極海氷の消失やグリーンランド氷床の融解とも連鎖し得る、見過ごせないリスクなのです。
炭素吸収源か、放出源か——森林化のパラドックス
低木化には、一見すると逆向きの二つの側面があります。地上では低木が茂ることで植物バイオマスが50〜200%増え、その分だけ炭素を吸収・固定します。ところが地下では、活層の拡大で土壌呼吸が30〜80%増え、凍土に眠っていた炭素が放出される。この綱引きの結果、北極圏全体としては差し引きで炭素の放出源へと転じつつあります。1990年代には吸収源(年あたり-50 TgC)だったものが、2020年代には放出源(年あたり+50〜100 TgC)に変わったと報告されています(Natali et al. 2019)。地上の緑が増えても、足元から失われる炭素のほうが上回ってしまうのです。
低木化はやがて疎林、そして閉鎖林へと数十年〜数世紀かけて遷移し、北方林(タイガ)の北上ともつながっていきます。シベリアやアラスカでは森林限界が10年あたり10〜100m北へ動いています。日本への直接の経済的影響は限定的ですが、北極の急速な温暖化はジェット気流の蛇行を通じて中緯度の極端気象——寒波や熱波、豪雨——に影響することが指摘されており(Cohen et al. 2020)、私たちの暮らしとも無縁ではありません。
北極圏には、Inuit やサーミ、ネネツなど400万人を超える先住民が、カリブー狩猟やトナカイ放牧、漁業とともに暮らしています。ツンドラの低木化は、その伝統的な生活基盤を静かに、しかし確実に揺るがしています。遠い北の小さな植生変化が、地球全体の気候と人々の暮らしにつながっている——この現象が世界中の研究者から注目を集めるのは、そのためです。
- IPCC AR6 WG1(2021)
- AMAP(北極監視評価プログラム)2021
- Berner et al. 2020, Nature Communications, 11:4621
- Schuur et al. 2015, Nature, 520:171-179
- Rantanen et al. 2022, Communications Earth & Environment, 3:168

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