照葉樹林を歩いていて、常緑の木の葉を一枚ちぎって揉んでみたら、ふわっと甘いシナモンの香りがした──そんなときは、ヤブニッケイ(藪肉桂、Cinnamomum yabunikkei)かもしれません。お菓子でおなじみのシナモンと同じクスノキ科ニッケイ属の、日本に自生する暖地性の常緑樹です。和名は「藪に生える肉桂(ニッキ)」の意味。栽培もののニッキに対して、野山に勝手に生えているニッキ、というわけです。
葉を揉めば、すぐ分かる
ヤブニッケイは樹高10〜15mほどの中木で、関東以西から四国・九州・沖縄の照葉樹林を構成します。同じクスノキ科の常緑樹はどれも葉が似ていて見分けに迷いますが、ヤブニッケイには決め手が二つあります。
一つは香り。葉を揉むと甘いシナモン系の香りが立ちます。同属のクスノキは樟脳(防虫剤のような鋭い香り)なので、嗅いだ瞬間に区別できます。もう一つは葉脈。葉の基部から主脈とともに2本の側脈が立ち上がり、葉の半分以上を並んで走る「三行脈(さんこうみゃく)」がくっきり見えます。葉は長楕円形で長さ7〜13cm、革質で表面に光沢があり、裏は粉白色を帯びます。秋(10〜11月)には直径8〜10mmの実が黒紫色に熟し、ヒヨドリやメジロが食べて種を運びます。
よく似た仲間との見分けは、香りと葉裏でほぼ片がつきます。樟脳臭ならクスノキ、甘いニッキ香ならヤブニッケイか栽培ニッケイ、ほぼ無香で葉裏が強い銀白色ならシロダモ、三行脈がなく羽状脈ならタブノキです。
シナモンの代わりにはならないけれど
香りの正体は、シナモンと同じシンナムアルデヒドという成分です。ただし含有量が違います。商業用シナモン(セイロンニッケイ、C. verum)の樹皮がこの成分を65〜80%も含むのに対し、ヤブニッケイの葉は2〜25%ほど。香りはずっと穏やかで、繊細な甘さにわずかな青さが混じります。だから本格的なシナモンの代用にはなりませんが、和ハーブとしての魅力は十分です。
実際、江戸期から各地で身近なスパイスとして使われてきました。関東〜東海では駄菓子の風味づけに、紀伊半島では樹皮を煎じた茶を産後の健胃薬に、四国・九州では漬物の香りづけに、といった具合です。鹿児島・沖縄では「カラギ」「カラニッケイ」と呼ばれ親しまれてきました。近年はシンナムアルデヒドの抗菌・抗酸化作用が注目され、和歌山や鹿児島で「藪ニッキ」「カラニッケイ」として地域特産化を目指す小さな取り組みも始まっています。なお、この成分は多量に摂ると肝臓や皮膚への刺激が報告されているので、利用はあくまで少量にとどめるのが無難です。
照葉樹林の中堅プレーヤー
ヤブニッケイは、スダジイやタブノキ、カシ類が高木層を占める照葉樹林の、その下の中木層を担う典型的な暖温帯の樹種です。耐陰性が強く、林床のすき間(ギャップ)が空くと一気に成長します。耐潮性もそこそこあり、海岸林ではタブノキやスダジイとともに二次林をつくります。一方で寒さには弱く、北関東以北の内陸では冬を越せません。北限はおおむね茨城県南部〜福島県浜通り南部あたりです。
萌芽再生の力が強いのも特徴で、伐られても切株から複数の幹が再生します。社寺の境内林では、この性質で株立ち状になった老木があちこちに見られます。常緑で年中緑陰をつくり、剪定にも強く、葉に香りがあることから、暖地の庭木や生垣、社叢林の構成樹としても使われます。生垣や園路沿いに植えておくと、通りすがりに葉が触れて香りが立つ、五感に訴える演出ができます。木材は気乾比重0.6ほどの中重量材で、家具や建具、ろくろ細工などに使われますが、流通量は多くなく、地域の銘木市場で「藪ニッキ」の名で取引される程度です。
よくある質問
ヤブニッケイとシナモンは同じ香りですか?
主成分は同じシンナムアルデヒドなので近い香りですが、含有量が大きく違います。商業シナモンの樹皮が65〜80%なのに対し、ヤブニッケイの葉は2〜25%ほど。香りはずっと穏やかで、甘さに青さが混じります。
クスノキとの違いは?
同じクスノキ科クスノキ属ですが、香りが決定的に違います。クスノキは樟脳の鋭い香り、ヤブニッケイは甘いスパイス香。葉を一枚揉んで嗅げばすぐ分かります。葉形もクスノキは卵形、ヤブニッケイは細長い長楕円形です。
庭木にできますか?
関東以西なら可能です。常緑で剪定に強く、生垣にも向きます。ただし北関東以北の内陸では越冬が難しく、極端に乾いた場所も苦手なので、適度に湿った土を選んでください。

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