アカマツとクロマツは、里山の象徴であり、海岸の防潮林として、そして庭園や盆栽の主役として、千年以上も日本人の暮らしに寄り添ってきた木です。ところが、この在来マツが過去40年で大きく姿を消しました。原因は「マツ枯れ」——マツノザイセンチュウという小さな線虫がもたらす、日本史上最大の森林病害です。被害のピークは1979年度の約243万m³。その後は防除と、そもそもの被害対象マツ林の減少で縮小し、近年は年30万m³前後まで下がりました。ピークの8分の1ほどです。ここでは、その40年の攻防を数字で追っていきます。
犯人は0.6mmの線虫とカミキリのコンビ
マツ枯れを引き起こすのは、北米原産のマツノザイセンチュウ(体長0.6〜1.0mmの線虫)と、それを運ぶマツノマダラカミキリの二人三脚です。仕組みはこうです。カミキリの成虫がマツの新芽をかじるとき、その傷口から線虫が侵入。線虫は樹脂道を伝って全身に広がり、細胞を殺して導管を詰まらせます。水を吸い上げられなくなったマツは、感染からわずか2〜4か月で枯れてしまう。そして枯死木の中で増えた線虫が、次世代のカミキリに乗り移り、また別のマツへと飛んでいく——この連鎖が被害を雪だるま式に広げました。
日本への侵入は1905年、長崎の記録が最初とされます。当初は局地的でしたが、戦中戦後の混乱で防除が途切れたこと、マツ林が単一だったことなどが重なり、1970年代に全国規模の大流行へと発展しました。感受性はクロマツがもっとも高く、アカマツがそれに次ぎます。
1979年がピーク、その後は右肩下がり
被害量の推移をたどると、戦後初期は関西・四国を中心とした局地的な被害でした。それが1965年に年30万m³、1972年に120万m³と東日本へ拡大し、1979年に240万m³という史上最大のピークに達します。以後は防除の効果が効きはじめ、徐々に縮小していきました。
| 年 | 年間被害量(万m³) | 動向 |
|---|---|---|
| 1972 | 120 | 全国蔓延化 |
| 1979 | 240 | 過去最大ピーク |
| 1990 | 110 | 防除効果出始め |
| 2000 | 約80 | — |
| 2010 | 約55 | — |
| 2020 | 約30 | — |
| 2022 | 約28 | ピークの1割強 |
近年の30万m³前後はピークの1割強。防除の徹底に加えて、そもそも被害を受けるマツ林自体が減ったことも大きな要因です。ただし注意したいのは、これは「終息」ではないこと。1990年代以降、被害は北へと拡大を続け、2010年代には北海道の渡島・檜山地方でも発生が確認されました。温暖化に伴う北上は、いまも進行中です。
4本柱で守ってきた
日本の松くい虫対策は、大きく4つの方法を組み合わせてきました。媒介カミキリを叩く薬剤散布、1本ずつ薬を打ち込む樹幹注入、感染木を伐って処理する伐倒駆除、そして抵抗性樹種への植え替えです。
| 対策 | 内容 | 年間規模 | 効果 |
|---|---|---|---|
| 特別防除(薬剤散布) | 地上・空中散布 | 限られた重要マツ林で実施 | 媒介カミキリ防除 |
| 樹幹注入 | 個別樹に薬剤注入 | 名松・庭園木などに | 数年間効果持続 |
| 伐倒駆除 | 感染木の伐採・薬剤処理 | 被害対策の中心 | 感染源除去 |
| 樹種転換 | 抵抗性樹種への植え替え | 被害跡地で順次 | 長期的解決 |
松くい虫対策には長年にわたって国・都道府県の予算が投じられ、被害がピークだった時期には全国で年間100億円を超える規模だったとされます。日本の森林病害対策としては最大級の投資です。守るべきマツ林を選び、そこに集中して防除する——その絞り込みが、被害縮小の現実的な戦略になっています。
希望は抵抗性アカマツ
もっとも根本的な解決策が、マツノザイセンチュウに強い抵抗性アカマツ品種の開発です。きっかけは1980年代、激しい被害のなかで生き残った天然の個体が岐阜・静岡などで見つかったこと。森林総合研究所と各県の林業試験場が、その個体を選抜し、採種園で種子を増やし、植えて長期評価する取り組みを続けてきました。普通のアカマツは感染するとほぼ枯れますが、抵抗性品種は感染しても枯れずに生き残る割合が高くなります。各県で多数の抵抗性品種が育成・登録され、採種園から供給された苗が各地に植えられています。
とはいえ万能ではありません。抵抗性は完全ではなく一部は感染しますし、植えてから育つまでに長い年月がかかります。即効薬ではなく、世代をまたぐ長期戦の備えと考えるべきものです。
失われゆく「白砂青松」
クロマツは海岸防潮林の主役でもあります。最盛期には日本の沿岸約3,000kmに広がり、砂防・防風・潮害防止の役割を担ってきました。三保の松原(静岡)、気比の松原(福井)、虹の松原(佐賀)といった名松原は、いずれもクロマツ林です。
この防潮林を、マツ枯れに加えてもうひとつの災厄が襲いました。2011年の東日本大震災の津波です。岩手県陸前高田の高田松原は約7万本のクロマツがほぼ全壊し、たった1本だけ残ったのが、のちに知られる「奇跡の一本松」でした。仙台湾沿岸や福島沿岸でも防潮林が広範囲で壊滅しました。その後、海岸防災林の復旧事業として盛土造成、抵抗性クロマツの活用、ボランティア参加型の植林が進み、被災した海岸林の多くが再生・成長期に入っています。失われた象徴的な景観を、地域の手で取り戻す挑戦が続いています。
マツタケが消えたのも、つながっている
マツ林の衰退は、木そのものだけの問題ではありません。アカマツと菌根で共生するマツタケは、1940年代に年1万tあった国産生産量が、いまや数十t規模まで激減しました。その背景には、マツ枯れによるアカマツの減少と、もうひとつ、里山管理の衰退があります。
かつてのアカマツ林は、人が落ち葉や下草を採り、枝打ちや間伐をして、明るく風通しのよい状態に保たれていました。それが戦後、薪炭から石油へ、堆肥から化学肥料へと暮らしが変わるなかで放置され、荒れていった。荒れたマツ林は、皮肉にもマツ枯れの温床にもなりました。マツタケを取り戻すことと、健全なアカマツ林を取り戻すことは、根っこでつながっているのです。
温暖化が北の砦を脅かす
媒介役のマツノマダラカミキリは、平均気温15℃以上でないと活発に活動できません。この温度の壁が、長らく北海道と東北北部を被害から守ってきました。ところが過去100年で日本の平均気温は約1.3℃上昇。その壁が崩れはじめ、北海道道南ではかつて無被害だった地域でも被害が確認されるようになりました。気候シナリオの予測では、今世紀半ばには北海道の広い範囲が被害可能地域に入るとの指摘もあります。日本最後の「マツ天国」も、もはや安泰ではありません。
これからの戦い方
40年余りで243万m³から30万m³前後へ。これは大きな成果です。けれど、北への拡大、防潮林の質的な劣化、文化的景観への影響といった課題は残ります。次の段階で鍵になるのは、抵抗性樹種の本格普及、ドローンやAI画像解析による感染木の早期発見、そして荒れた里山に再び手を入れる地域の協働です。アカマツとクロマツは、日本の景色そのものをかたちづくってきた木。科学と伝統知、両方の力で次の世代へ手渡していきたい樹種です。

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