紙でできた大聖堂、と聞くと冗談のように響くかもしれません。けれどニュージーランド・クライストチャーチの街なかには、直径60センチの紙管を98本組み上げた本物の大聖堂が、もう12年も立ち続けています。クライストチャーチ紙の大聖堂(Cardboard Cathedral/Transitional Cathedral)。設計したのは日本の建築家・坂茂(ばん・しげる)。2011年のカンタベリー地震で壊れた歴史的大聖堂の「つなぎ」として2013年に開堂し、いまや街の象徴になっています。
ひとつの地震が、すべての始まりだった
2011年2月22日午後12時51分、クライストチャーチ市の中心部直下わずか7キロで、マグニチュード6.3の地震が起きました。死者185名。中心部の建物のおよそ7割が修復不能と判定され、街は心臓部を失います。聖公会の母教会であり街のシンボルでもあった1881年完成のクライストチャーチ大聖堂も、尖塔が倒れ身廊が深刻に損傷し、礼拝の場としての機能をすべて失いました。本聖堂の再建是非をめぐる論争は長引き、修復・部分再建が決まったのは2017年。工事はいまも続いています。
その「いつ戻れるか分からない」空白を埋めるために動いたのが坂茂でした。地震からわずか2か月後の2011年4月、紙管建築の報道を見た現地の司祭が直接打診し、設計が始まります。2012年7月に着工、地震からちょうど2年半となる2013年8月15日に開堂しました。実工事はおよそ14か月——同規模の公共建築なら通常24〜30か月かかるところを、半分ほどで建て上げたことになります。
紙管で24メートルを飛ばす
この建物の核心は、紙管を一次構造材に使って最大スパン24メートル・最高21メートルのA型断面(テントのような二等辺三角形)を実現したことにあります。使われた紙管は直径600ミリ、肉厚50ミリ、最長で20.7メートル。1本およそ500キロと、同じ体積の鉄骨の9分の1ほどしかなく、25トンクレーン1台と作業員4名で建て方ができました。
もちろん紙だけで荷重を支えるわけではありません。紙管の内部にはLVL(単板積層材)を挿入してハイブリッド構造とし、剛性を確保しています。紙管同士は合板スペーサーと鋼製コネクタ、ドリフトピンで密に連結。屋根は厚さ10ミリのポリカーボネート波板で防水と採光を兼ね、入口側のファサードは三角形のカラーパネルがステンドグラスのように街の記憶を映し出します。地盤の液状化対策として深さ4メートルのRC基礎にスクリュー杭を併用し、構造設計はニュージーランドのHolmes Consulting Groupが担当しました。
なぜ紙だったのか
紙管が大スパンの構造材として成り立つのは、絶対的な強さではなく「軽さに対する強さ」が効くからです。紙管の縦弾性係数は3〜5GPaと鋼材(200GPa)のわずか数%ですが、密度が桁違いに小さいため、比剛性で見れば鋼材の2〜3割に届きます。軸力主体のA型断面に設計し、座屈を抑える接合をすれば、十分に屋根を支えられるのです。製造時のCO2も再生紙原料なら構造用鋼の5分の1強。古紙に戻して何度も再利用でき、仮設として撤去する際の現場発生CO2も恒久RC造よりはるかに小さく収まります。表面は難燃処理で30分耐火を取得し、樹脂含浸とポリウレタン塗装で、年間降水量約650ミリのクライストチャーチの雨にも耐えています。
総工費は約NZ$550万(約4.5億円)。資金は個人・企業の寄付が約4割、地震保険金が約3割、残りを教会の自己資金と借入でまかないました。施工はニュージーランド大手のNaylor Love Constructionが元請けとなり、施工人員のおよそ85%を地元クライストチャーチ近郊から雇用。建物そのものが、地震後の地域経済の復興にも一役買ったわけです。
神戸から始まり、トルコまで続く30年
紙の大聖堂は、ぽつんと生まれた奇抜な建物ではありません。坂茂が30年積み重ねてきた災害復興建築の系譜の、ひとつの頂点です。原点は1994年のルワンダ難民シェルター、そして1995年の阪神・淡路大震災後、神戸の鷹取教会境内にベトナム人コミュニティのための集会所「紙のログハウス」を建てたこと。以後、トルコ・コジャエリ地震(1999)、インド洋津波(2004)、四川大地震(2008、40日で小学校の校舎を完成)、東日本大震災(2011、避難所の紙管間仕切りを50か所以上・累計1,800ユニット超)、そして2023年のトルコ南東部地震まで、40件を超えるプロジェクトが連なります。
こうした活動の母体が、坂茂が1995年に設立したNGO「VAN(Voluntary Architects’ Network)」です。「災害弱者のための建築家」という坂茂の評価は、この長い実践の積み重ねから生まれました。
プリツカー賞2014と、仮設という思想
2014年、坂茂は建築界最高の栄誉とされるプリツカー賞を受賞しました。日本人としては丹下健三、槇文彦、安藤忠雄、SANAA、伊東豊雄に続く7人目。選考委員会は「災害被災者のための人道的建築と、革新的な構造的探求の両立」を評価し、紙の大聖堂を含む一連の災害復興建築を決定打としました。賞金10万米ドルは、そのままVANの活動資金に充てられています。
この建物の正式名称がTransitional Cathedral(過渡的大聖堂)であることには意味があります。temporary(仮設)でもpermanent(恒久)でもない第三の言葉を、設計者と施主があえて選んだのです。日本の伊勢神宮の式年遷宮、遊牧民のゲル、博覧会のパビリオン——仮設は本来、建築の重要な一系統でした。坂茂はその系譜を現代の災害復興に接続し、「仮設は質が低くて当たり前」という思い込みを打ち破ってみせました。低予算・短工期・素材の制約という縛りが、かえって独自の表現を生む。建築教育で「制約からの創造」のケーススタディとして取り上げられる理由がここにあります。
12年後の今
2025年現在も、紙の大聖堂は礼拝にコンサートに、地震記念日の追悼にと、現役で使われ続けています。年間の来訪者はおよそ20万人。Lonely Planetのガイドでは「クライストチャーチ必訪10選」に挙げられ、市民調査では87%が「街の象徴」と認識しています(2023年市調査)。耐震性も折り紙つきで、2016年のカイコウラ地震(M7.8)でも構造損傷はゼロでした。軽量構造ゆえに地震の慣性力そのものが小さい、という逆説的な強さです。
本聖堂の修復が完了する見込みは2027年以降。それまでこの紙の大聖堂は、街の祈りの場であり続けます。仮設と恒久、人道と美学、ローカルとグローバル——いくつもの対立をやわらかく解いてみせたこの建物は、災害の時代を生きる建築のひとつの指標として、これからも立ち続けるでしょう。
よくある質問
Q. 紙管は雨に弱くないのですか?
紙管は樹脂を染み込ませてポリウレタン塗装で仕上げ、さらに屋根のポリカーボネート波板で二重に防水しています。湿度の高いクライストチャーチでも、12年経った今も健全性を保っています。
Q. オリジナルの大聖堂は再建されたのですか?
1881年の大聖堂は2017年に修復・部分再建が決まり、現在も工事中です。完成見込みは2027年以降で、それまで紙の大聖堂が役目を担い続けます。
Q. 見学や礼拝に参加できますか?
はい。誰でも見学・礼拝に参加できます。場所はクライストチャーチ中心部のMadras St 234で、徒歩や市内バスで簡単にアクセスできます。

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