「ネイチャーポジティブ」という言葉が、ここ数年で一気に広まりました。ざっくり言えば、2030年までに生物多様性の損失を止め、回復軌道に乗せようという世界共通の目標です。2022年12月のCOP15で採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組(GBF)」の23のターゲットが、その土台になっています。
そして、この目標を語るうえで森林は外せません。日本の森林2,500万haは国内の陸の生態系のおよそ7割を占めます。レッドリストに載る絶滅危惧種・準絶滅危惧種は約3,800種ありますが、そのうち約1,500種、つまり4割が森林を主なすみかにしています。森林をどう扱うかが、生物多様性保全のいちばん大きなレバーになっている——この記事では、林業がネイチャーポジティブにどう貢献できるのかを、現場の手触りを交えて整理していきます。
まず、世界目標の全体像から
ネイチャーポジティブは「2030年に自然を回復軌道に」「2050年に人と自然の調和」という2段階の目標を掲げ、GBFの23ターゲットを通じて達成を目指します。森林に直接関わるのは、劣化した生態系の30%回復(ターゲット2)、陸海30%保護のいわゆる「30by30」(ターゲット3)、持続可能な野生種利用(ターゲット5)、持続可能な農林漁業(ターゲット10)あたりです。
よく似た言葉に「カーボンニュートラル」がありますが、こちらは温室効果ガスの収支を均衡させる気候の話。ネイチャーポジティブは生物多様性の話で、対象が違います。森林はどちらにも効いてくるので、林業の現場では両方を一緒に考える必要があります。
カギを握る「30by30」
23ターゲットのなかでも実務に直結するのが30by30——2030年までに陸と海の30%以上を保護区やOECMで守ろうという目標です。日本の陸域保護地区は2024年時点で国土の約20.5%。30%まで、あと約9.5%(約360万ha)を上積みしなければなりません。陸の生態系の中心は森林ですから、この目標達成の実際の舞台は森林になります。
| 保護区分 | 面積(万ha) | 国土比 | 主な根拠法 |
|---|---|---|---|
| 国立公園 | 220 | 5.8% | 自然公園法 |
| 国定公園 | 150 | 4.0% | 自然公園法 |
| 都道府県立自然公園 | 200 | 5.3% | 自然公園法 |
| 国指定鳥獣保護区 | 58 | 1.5% | 鳥獣保護管理法 |
| 保護林 | 97 | 2.6% | 国有林野管理経営法 |
| 合計(重複考慮) | 約780 | 約20.5% | 陸域全体 |
この差を埋める切り札が「OECM」です。法律で指定された保護区ではないけれど、実質的に生物多様性保全に貢献している区域——社寺林や企業の緑地、里山、水源林、棚田などが当てはまります。日本では環境省がこれを「自然共生サイト」として認定する制度を2023年から本格運用しており、2024年時点で約180件、約8万haが認定されました。2030年までに認定数1,000件・面積150万haへ広げるのが政府目標です。
林業ができること ─ 4つの道筋
では、木を育て、伐り出す林業の側からは、何ができるのでしょう。大きく4つの道筋があります。針葉樹だけの単一林を針広混交林に変えていくこと、希少種の生息地に配慮した施業を行うこと、植え直すときに樹種を多様にすること、そして高齢の樹を含む林分をあえて残すこと——この4軸です。
なかでも効果が分かりやすいのが、針広混交林化です。スギ・ヒノキだけの人工林は、生きものの豊かさという点では正直さびしい。林床の植物の種数で比べると、スギ単純林は1haあたり10〜30種ほどですが、針広混交林なら40〜80種、天然の広葉樹林では60〜120種と、2〜4倍の開きがあります。鳥の営巣密度や昆虫の種数でも同じ傾向で、混交林化は生物多様性回復の基本中の基本とされています。
手法としては、複層伐採後の天然下種更新、コナラ・ミズナラ・ブナといった郷土樹種の植栽、間伐後の群状択伐、100年を超える長伐期施業などがあります。森林経営管理制度や森林環境譲与税(地球温暖化対策のための税)を活用しながら、全国で年間およそ3万haのペースで進んでいます。
森林に頼る希少種は約1,500種
環境省レッドリスト(2020年版)に載る絶滅危惧・準絶滅危惧種は約3,800種。このうち森林を主なすみかとする種が約1,500種と推計されます。とくに維管束植物(樹木や林床の植物)では森林依存の比率が6割を超え、両生類・爬虫類で約5割、哺乳類で約4割、鳥類で約3割と、生きものの種類によって森林への依存度に差があります。裏を返せば、森林の伐り方ひとつでこれだけの種の運命が左右されるということです。
企業の動きと「見える化」 ─ TNFP・森林認証
近年は企業が森林保全に本腰を入れはじめ、その取り組みを客観的に示す仕組みも整ってきました。代表的なのが森林認証(FSC・PEFC)と、TNFD(自然関連財務情報開示)です。FSC・PEFCの認証林は世界森林の約11%、日本では合計で森林の約9%が取得済み。認証基準には生物多様性への配慮や持続可能な伐採量の遵守などが含まれ、認証林は実質的にネイチャーポジティブ貢献の森とみなされます。
企業の具体例も増えています。サントリーの「天然水の森」は全国約1.2万haの水源林を契約管理し、年4回の生物多様性モニタリングを実施。住友林業は社有林約4.8万haで独自の生物多様性指標を運用し、王子ホールディングスは社有林約19万haでFSC認証を取得しています。こうした取り組みは「自然共生サイト」認定や森林J-クレジットと組み合わせて、TNFD開示やサステナビリティ報告書で外部に示される——いわば社会への通信簿になりつつあります。
地域の実例 ─ 下川・根羽・諸塚
理屈だけでなく、地域の現場でも成果が出はじめています。北海道下川町は町有林4,500haで「カーボンオフセット型の針広混交林化」を進め、混交林化によって林床植物の種数が施業前の25種から5年で60種に増加。カラフトモモンガやエゾフクロウ、クマゲラといった希少種の生息確認も増えました。長野県根羽村は村有林5,000haで100年超の長伐期施業に移行し、生物多様性を保ちながら高単価の大径材で経営を成り立たせています。宮崎県諸塚村は3,500haで林家・行政・森林組合が連携する「諸塚村型FSC認証林」を運用し、全国モデルとなりました。
こうした事例に共通するのは、「自然を守ること」と「林業として食べていくこと」を対立させず、補助金やクレジット、認証材のプレミアム、観光・教育用途の収入などを組み合わせて両立させている点です。短期的にはコストが上がる場面もありますが、30〜50年という林業本来の時間軸で見れば、生物多様性への配慮はむしろ経営の足腰を強くする方向に働きます。
よくある質問
30by30は林業にどう影響しますか?
森林の3割を保護区やOECMに含める方針なので、伐採の自由度が制約される面と、保全志向の林業への支援が手厚くなる面の両方があります。国立公園内の森林の伐採制限、保護林の拡大、企業緑地・社寺林の認定促進、生物多様性配慮型施業への補助強化などが想定されます。林業全体への締め付けというより、施業のやり方がシフトしていく、と捉えるのが実態に近いです。
針広混交林化は経営的に成り立ちますか?
短期だけ見れば収益が下がる場合があります。搬出コストは高めになり、広葉樹が混じることで用材としての価値も変わるからです。一方で長期的には、混交林化への補助金、生物多様性プレミアム付きのカーボンクレジット販売、観光・教育用途の収入などで補える余地があります。30〜50年の長い目で評価することが大切です。
個人や中小企業はどう関われますか?
小規模な所有林でも自然共生サイトの申請は可能ですし、FSC・PEFC認証材を選んで買うこと、企業の自然共生プロジェクトへの寄付・参加、地域の植樹や里山保全活動への参加、ESG投資商品を通じた資金提供など、関わり方は多様です。規模が小さくても貢献できる入り口は確実に増えています。

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