囲碁や将棋の盤に駒を打ったときの、澄んだ「カチッ」という音と、指先に返ってくる独特の弾力——あの感触を生むのが、カヤ(榧、本榧/Torreya nucifera)です。盤材としての歴史は平安時代から1000年以上。最高級の本榧盤は今でも数百万〜数千万円で取引されます。しかも、その盤になれるのは樹齢500年を超えた古木だけ。一人の人間の一生では到底育てきれない、時間そのものを材料にしたような木なのです。
どんな木? ゆっくり育つ長寿の針葉樹
カヤはイチイ科カヤ属の常緑針葉樹で、本州(岩手以南)から九州・屋久島にかけての山地に散らばって生えています。樹高は25〜30m、大きいものは胸高直径2mにも達します。雌雄異株で、長さ2〜3cmの固く尖った線形の葉をもち、秋には紫褐色に熟す核果状の実をつけます。
最大の特徴は、とにかく成長が遅いこと。年輪の幅は0.5〜1.5mmほどしかなく、そのぶん寿命は長く、ふつうでも300〜500年、古木では1000年を超えます。この「ゆっくり、ぎっしり」育つことこそが、緻密で均一な木目を生み、盤材としての価値につながっています。
なぜ碁盤・将棋盤の最高級材なのか
カヤ材が盤に選ばれる理由は、淡黄色の美しい色調、榧油由来のほのかな香り、適度な硬さと弾力、そして高い耐久性が一つにそろっているからです。なかでも決め手は「音と弾力」。駒を打ったときの澄んだ音と、ほどよく沈んで返ってくる打ち心地は、他の木では再現できません。長く使っても割れにくく、狂いが出にくいのも盤材向きです。
こうした性質は、気乾比重・木目の均一さ・含水率の安定がそろって初めて生まれます。そしてそれが両立するのは、樹齢500年を超えた大径木の心材だけ。だから本榧盤は希少で高価なのです。盤のグレードは樹齢と木取り(柾目か板目か)で決まり、樹齢1000年級・無欠点の天然柾目「天柾」ともなれば数千万円。プロ棋士や収集家、寺院に世代を超えて受け継がれる、文化財に近い存在です。
| グレード | 特徴 | 価格帯の目安 |
|---|---|---|
| 最高級「天柾」 | 樹齢1,000年級・天然柾目・無欠点 | 500〜3,000万円超 |
| 高級「本柾」 | 樹齢500年超・柾目 | 200〜500万円 |
| 上級「板目」 | 板目取り・樹齢300年級 | 50〜200万円 |
| 普及級「新榧」 | スプルース等の代替材 | 1〜10万円 |
ちなみに盤がカヤなら、将棋駒は本黄楊(ツゲ)、碁石は白がハマグリ・黒が那智黒石、というのが最高級の組み合わせ。いずれも日本の自然と結びついた素材で、まるごと伝統文化の結晶です。
「500年植林計画」という贈り物
盤になれるのが樹齢500年以上の古木——これはつまり、いま苗を植えても、それが盤になるのは500年後の世代だということ。カヤの林業は、市場の損得勘定では成り立ちません。現代の私たちが、22世紀・23世紀の人々に贈り物を残すという発想でしか続けられないのです。
その象徴的な舞台が宮崎県綾町。日本最大のカヤ自生地で、世界遺産級の「綾の照葉樹林」(ユネスコエコパーク)のなかに、樹齢500〜1000年の古木がおよそ200本残ります。戦前の乱伐で多くを失った反省から、戦後は計画的な植林と保全を進め、「綾町500年植林計画」として次世代の盤材を育てています。徳島県の祖谷、奈良県の吉野などにも、同じ長期思想を受け継ぐ伝統林業地があります。
実は食べられる——榧の実と榧油
カヤは木材だけの木ではありません。種子(榧の実)は古くからの食材で、灰汁を抜いて煎れば、香ばしいおやつや酒の肴になります。搾った榧油は人類最古級の植物油の一つとされ、平安時代以前から食用・灯火・薬用に使われてきました。いまも綾町や京都・奈良の一部で伝統製法が受け継がれ、不飽和脂肪酸に富む健康食品として地域特産になっています。
世界では絶滅寸前の仲間も
カヤが属するカヤ属(Torreya)は、世界的に見ても希少なグループです。北米のフロリダ榧(Torreya taxifolia)はIUCNレッドリストで「絶滅寸前(CR)」。中国南部の榧樹(Torreya grandis)は種子の食用が中心です。そのなかで日本のカヤは、個体数も林業利用も最も健全に保たれている種で、「守りながら使う」バランスのモデルとして国際的にも注目されています。とはいえ国内でも大径木は減りつつあり、シカの食害や夏の高温・乾燥といった気候変動の影響が、これからの長期保全の課題です。
よくある質問
Q. 本榧の碁盤はなぜそんなに高いの?
盤に使えるのは樹齢500年超の古木の心材だけで、そもそも材が希少だからです。さらに伐採後も5〜10年の自然乾燥と数年の養生が必要で、職人の手間も膨大。希少性と手間が価格に積み上がります。
Q. 「新榧」って本榧と違うの?
別物です。新榧はスプルースなどを使った代替材で、本榧(カヤ)ではありません。色や見た目は似せられますが、音や打ち心地は本榧ならではのものです。
Q. カヤの大きな木はどこで見られる?
宮崎県綾町の照葉樹林が代表格です。ほかに福島県古殿町の大平カヤ(国指定天然記念物)、京都府京北町の推定樹齢1200年のカヤなど、各地に天然記念物の古木が残っています。
おわりに
カヤは、500年・1000年という人の一生をはるかに超える時間を木の体に刻みこんだ、日本でも稀有な木です。いま私たちが本榧の盤を打てるのは、何百年も前の人々が木を植え、守り、使ってきたから。同じように、いま植える一本のカヤは、遠い未来の誰かのための贈り物になります。盤に響く「カチッ」という音は、世代から世代へと受け継がれる時間の音でもあるのです。
- 林野庁「特用林産物統計」
- 環境省「綾の照葉樹林ユネスコエコパーク」資料
- 森林研究・整備機構(FFPRI)
- IUCN Red List(Torreya属)

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