【アセビ/馬酔木】Pieris japonica|シカが食べない有毒樹種、奈良公園の純林

アセビ | Forest Eight
気乾比重0.70(0.65〜0.75 参考値)重硬・緻密樹高2〜4m株立ち低木まれに6〜8m開花期3-4月白い壺形花スズラン状毒性全草有毒グラヤノトキシンシカ忌避
図1:アセビ/馬酔木の主要スペック(代表値)

奈良公園を歩くと、シカに食べつくされた下草の荒涼とした地面の中で、高さ2mほどの常緑低木だけが青々と残っている──その木がアセビ(馬酔木・Pieris japonicaです。和名「馬酔木(うまよいぎ→あしび)」は、馬が葉を食べると酔ったように苦しむことに由来します。全草にグラヤノトキシンという有毒成分を含むため、シカも馬も口にしない。この「食べられない」という性質が、アセビをただの庭木以上に面白い存在にしています。

目次

なぜシカはアセビを食べないのか──奈良公園の「ディアライン」

奈良公園周辺(春日山原始林・若草山・東大寺裏山)では、天然記念物のニホンジカが1km²あたり50〜100頭という高密度で生息しています。シカは地面の草から高さ1.5〜2mまでの葉を集中的に食べるため、ちょうどシカの口が届く高さに「ディアライン(browse line)」と呼ばれる明瞭な食害ラインができます。このライン以下の植物はふつう激減するのですが、有毒のアセビだけは食べられずに残る。結果、下層植生がアセビばかりになる「アセビ純林化」が起こります。

シカがアセビを避けるのは、グラヤノトキシンの苦味・刺激味に加えて、試食して気分が悪くなった経験と、母鹿から子鹿への学習が効いているからです。「アセビは食べない」という採食ルールが群れの中で世代を超えて受け継がれます。この現象は奈良公園だけでなく、宮城県金華山島や京都の大原野でも観察され、英語圏でも「Pieris japonica dominance under high deer density」としてシカ食害圧の生態指標に引用されています。景観・観光としては奈良公園らしい風景でも、生態学的には「本来の森の更新が止まっている」サインでもある、というのが悩ましいところです。

有毒成分グラヤノトキシンと「マッドハニー」

アセビの葉・茎・花蜜・果実・種子に含まれるグラヤノトキシン類は、神経細胞のナトリウムチャネルに作用して持続的な脱分極を引き起こすジテルペン系の毒です。摂取すると流涎・嘔吐・徐脈・血圧低下・運動失調などの症状が出ます。馬・牛・山羊では葉0.2〜0.6%(体重比)で中毒、人でも葉数枚〜十数枚で中毒例が報告されています。致死に至るのは稀ですが、家畜の誤食事故は古くから知られ、それが和名の由来になりました。

興味深いのは花蜜にも毒が移ること。トルコ黒海沿岸やネパールでは、同じツツジ科のシャクナゲを蜜源とする「マッドハニー(deli bal)」による中毒が、古代ギリシャ・ローマ時代から記録されています。日本の市販蜂蜜は複数蜜源のブレンドや加熱で希釈されるため実害はほぼありませんが、アセビやレンゲツツジの群生地で単一蜜源の採蜜をする場合は注意が必要です。庭木として扱う分には、葉や実を口に入れなければ安全です。小さな子どもやペットの届く低い枝は剪定で上げておき、剪定枝は焼却せず(煙の吸入を避けるため)粉砕・堆肥化や可燃ごみで処分しましょう。

春を告げる白いスズランの花

3〜4月、アセビは前年枝から長さ7〜10cmの花序を多数垂らし、長さ7〜8mmの白〜淡紅色の壺形花を鈴なりにつけます。スズランを思わせる繊細な花房は観賞価値が高く、新葉の赤銅色との対比も美しい。耐陰性・耐寒性・耐潮性・耐乾性にすぐれ、しかもシカに食われないため、山地のシカ対策造林の下層樹、都市公園の低木、住宅庭園のシンボルツリー、神社境内の伝統植栽と幅広く使われます。

園芸品種も豊富で、白花の「クリスマスチアー」、濃紅花の「バレーバレンタイン」、新葉が燃えるように赤い「フォレストフレイム」「マウンテンファイア」などが世界的に流通します。日本産のアセビは18世紀末にシーボルトらが欧州へ紹介し、英国王立園芸協会(RHS)のガーデンメリット賞を受けた品種も多い、和洋を問わず愛される庭園植物です。剪定は花後の4〜5月が適期で、8月以降に切ると翌春の花芽を落としてしまうので避けます。萌芽力が強く生垣の刈り込みにも耐えます。

万葉集から茶花まで

アセビは『万葉集』に「あしび」として9首が詠まれる古典樹種でもあります。大伴家持らの歌に「白き花咲く馬酔木」のイメージが定着し、奈良時代から春日大社・東大寺の境内に多く植えられました。茶道では千利休以降、3〜4月の春の茶事に「馬酔木」の一枝を生ける伝統が今も続き、江戸時代から「アセビ盆栽」も親しまれてきました。緻密で重硬な枝材(気乾比重0.65〜0.75)は、茶杓・楊枝・煙管・印鑑・櫛・根付などの小細工物に珍重され、不規則な模様の根材は杖や床柱の銘木になることもあります。ただし構造材になるほど太くはならないため、用材としての流通はほとんどありません。「魔除け」として節分や正月の結界飾りに使う地域もあり、毒草でありながら人の暮らしに深く関わってきた木です。

アセビ/馬酔木の主用途1シンボルツリー2生垣3生態指標4茶花・盆栽
図2:アセビ/馬酔木の主用途

見分け方と気候変動下の動向

見分けの最大ポイントは、3〜4月に下垂する白いスズラン状の花房。加えて、枝先に集中する倒披針形の革質葉(4〜10cm、上半分に細鋸歯)、株立ちの低木樹形、赤銅色の新葉を確認すれば迷いません。同じツツジ科で毒を持つレンゲツツジは落葉性でオレンジ色のロウト形の花、シャクナゲは大きな集合花なので区別できます。

気候変動下では、アセビ自身の分布北上・高標高化に加えて、積雪減少でシカの越冬可能域が北へ広がることが予想されます。シカが増えればアセビ純林化も北へ拡大する──つまりアセビのシカ食害指標としての価値はむしろ高まる見込みです。環境省のモニタリングサイト1000でも奈良公園を含む高密度地帯でアセビの優占度が継続観測されており、観光資源としての奈良型景観の拡大と、在来樹種の更新阻害という両面性をにらんだ植生管理が課題になっています。シカ食害地の植生回復や観光地の安全管理(誤食防止表示)の観点から、森林環境譲与税の活用対象にもなり得ます(森林環境譲与税の詳細)。

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この記事を書いた人

ハウスメーカーで住宅の構造を担当したのち、林業の世界へ。林業・木材・建築の3領域を横断する視点で、Forest Eight の記事を編集しています。

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