住宅の玄関先、和風庭園、社寺の境内──四角くきれいに刈り込まれた濃緑の生垣を見かけたら、その多くがイヌツゲ(Ilex crenata)です。名前に「ツゲ」とつきますが、じつは本物のツゲ(ツゲ科)とは別の科、モチノキ科の常緑低木。それでも日本の生垣・トピアリー市場で独占的な地位を築いている、影の主役のような木です。
「犬ツゲ」と呼ばれる理由
葉が細かく、刈り込みに強く、常緑という特性が本物のツゲ(Buxus microphylla、ツゲ科)に酷似するため、分類学が確立する前から「ツゲ」として扱われてきました。植物学的には全くの別系統ですが、機能的に本ツゲを置き換える代用品として「犬の(=劣る、似て非なる)ツゲ」=イヌツゲと呼ばれるようになったのです。イヌビワ、イヌマキと同じ命名パターンで、江戸期の本草学に由来します。
見分けの決め手は葉のつき方。イヌツゲは互生、本ツゲは対生です。さらにイヌツゲの葉縁には細かい鋸歯(種小名 crenata はこの鋸歯に由来)があり、傷つけても無香。本ツゲは全縁で独特の樹脂香があります。イヌツゲは雌雄異株で、秋に直径6〜7mmの黒い実をつけ、ヒヨドリやメジロが種子を運びます(本ツゲは緑〜褐色の蒴果)。
なぜ本ツゲを置き換えたのか
本ツゲは緻密な木目で印章材として最高級ですが、生垣には致命的な弱点がありました。成長が遅すぎる(年5〜10cm)のです。一方イヌツゲは年30〜50cmと約5倍速く、生垣が早く仕上がります。さらに耐寒性が高く(−15℃、北海道道南まで越冬)、価格も同サイズで本ツゲの1/3〜1/5。1960〜80年代のニュータウン開発期に郊外住宅の標準生垣として大量採用され、現在までの市場優位を決定づけました。
刈り込みに無敵──玉散らしを支える木
イヌツゲの最大の武器は、日本産樹木で最高クラスの剪定耐性です。年2〜3回の強剪定にも耐え、刈り込み後の萌芽再生率は適期(5〜6月、9〜10月)なら90%以上。樹齢50年超の老木でも強剪定から回復します。その秘密は、葉腋や幹に潜む休眠芽の密度の高さにあります。樹木医学会の研究では、主枝1cm²あたりの潜伏芽の数が他の常緑樹(クロマツ・サザンカ・シラカシ等)の3〜5倍。どこを切っても新芽が吹く「芽座」を大量にストックしているわけです。
この性質があってこそ、日本庭園の「玉散らし」「玉物」といった精巧な刈り込み造形が成立します。寺院庭園や武家屋敷、茶室の路地で見る球形の刈り込みは、職人による年2〜3回の継続剪定で維持されてきました。京都の名園(修学院・桂離宮・南禅寺塔頭など)でも、表に出ない実用樹として庭の骨格を支えています。住宅では電動バリカンの普及で施主によるDIY剪定も増えており、コツは「同じ位置・同じ深さの刈り込みを繰り返す」ことに尽きます。
流通は幅広く、生垣用小苗(樹高30〜50cm)が200〜500円、中苗(1m)が500〜1,500円、玉散らしの完成品が5,000円〜5万円、大型トピアリーになると10〜50万円。’Sky Pencil’(幅50cmの筒形)のような選抜品種は狭小スペースやモダン外構で人気です。なお材は緻密ですが樹幹が細く、用材としては印章材や小物彫刻に本ツゲの代用として小ロット使われる程度。江戸〜明治期、本ツゲが高価だった頃には「下級印章材」として広く用いられた記録が残っています。
いま欧州が日本のイヌツゲを欲しがっている
近年、イヌツゲは思わぬ形で国際舞台に立っています。きっかけは欧州の悲劇でした。2010年代以降、ベルサイユ宮殿のような形式庭園を彩ってきたセイヨウツゲ(Buxus sempervirens)が、ボックスブライト病(糸状菌 Cylindrocladium buxicola)と害虫ツゲノメイガの猛威で大量枯死してしまったのです。数百年の歴史を持つフォーマルガーデンの生垣・トピアリーが危機に瀕しました。
その代替樹種の筆頭候補が、Ilex crenata(イヌツゲ)です。葉のサイズと密度がツゲにそっくりで造形を維持でき、しかもこれらの病害虫はツゲ特異的なのでホリー類は被害を受けません。英国王立園芸協会(RHS)は ’Convexa’ ’Dark Green’ などを代替品種として推奨し、欧州のイヌツゲ苗木需要は年率10〜20%で拡大中。オランダ・ベルギーの大手ナーセリーが生産の中心ですが、大型造形品(古樹仕立て)は日本からの輸出が一定の地位を占めます。植物検疫証明の取得など条件はありますが、内需中心だったイヌツゲが高付加価値の輸出園芸樹種へ転換する好機を迎えています。
植える・育てる
生垣にするなら密植間隔30〜50cm、植栽適期は春3〜4月か秋10〜11月で根鉢付き苗が安全。弱酸性〜中性(pH5.5〜7.0)の排水良好な土壌が最適です。植栽後1年は灌水を確実に行い、あとは年2〜3回の剪定で形を保ちます。病害虫には強いものの、カイガラムシ(すす病を併発)や、排水不良地でのフィトフトラ根腐れには注意。葉が黄ばむときは排水不良・強剪定ストレス・鉄分不足・カイガラムシのいずれかを疑います。寒冷地は道南までが限界で、内陸・道東・道北ではキャラボクなどに切り替えてください。都市緑化や社寺境内の伝統造形管理という観点では、森林環境譲与税の活用対象にもなり得ます(森林環境譲与税の詳細)。

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