山林相続税の納税猶予|林業承継税制の構造

山林相続税の納税猶予 | Forest Eight

「父が遺してくれた山を、相続税のために手放さなければならない」――林業の現場で、こうした声は決して珍しくありません。戦後に植えられた木々がようやく収穫期を迎えた今、所有者の世代交代が一斉に進み、そのたびに重い相続税が森林経営の継続を脅かしてきました。そこで2018年に生まれたのが、相続税の80%を納税猶予する森林相続税の納税猶予制度です。この記事では、その仕組みと使い勝手、そして課題を整理していきます。

創設年 2018 税制改正 林業承継支援 租特法第70条 猶予割合 80 % 相続税の 承継条件付 累計件数 500 2024年末推計 面積約2万ha 対象森林 30 ha以上 経営計画認定 対象見込100万ha
図1:森林相続税納税猶予の主要諸元(出典:国税庁・林野庁・租税特別措置法)
目次

なぜ相続税が森林経営を脅かすのか

日本の私有林地は約1,750万ha(うち人工林663万ha)。その大部分は、戦後の拡大造林期(1950〜70年代)に木を植えた人たちの手によるものです。その所有者が今、平均年齢70歳を超え、相続が次々と発生しています。森林の相続税評価は、土地(山林)の評価額と立木の評価額の合計で決まり、規模が大きいほど負担も重くなります。

森林規模 評価額目安 相続税負担例
20ha以下(小規模) 200-1,000万円 数十万円〜200万円
20-50ha(中規模) 1,000-3,000万円 200-500万円
50-200ha(大規模) 3,000万円-1億円 500-2,000万円
200-500ha(超大規模) 1-3億円 2,000-5,000万円
500ha超 3億円以上 5,000万円以上

大規模な森林所有者では、相続税を払うために山の一部を売ったり、森林経営そのものを諦めたりするケースが少なくありませんでした。これが森林経営の連続性を断ち切り、経営困難な森林や所有者不明森林を増やし、ひいては水源涵養やCO2吸収といった森林の多面的機能を低下させる――そんな構造的な問題を生んでいたのです。

相続税の80%を猶予する仕組み

この課題に応えるため、2018年(平成30年)の税制改正で、林業承継のための相続税納税猶予制度(租税特別措置法第70条の6の6・7)が創設されました。後継者が森林経営を継続することを条件に、相続税の80%が納税猶予されます。これは、農業向けの「農地等の納税猶予制度」(1975年創設)を参考にした林業版で、農業制度の40年以上の運用経験を踏まえて設計されました。

100ha規模の森林で考えてみましょう。長野県木曽地方の典型的な所有者(100ha、ヒノキ・カラマツ混交林、林齢40〜60年生)を想定すると、山林評価額約3,000万円、立木評価額約7,000万円で森林資産は約1億円。他の財産も含めると相続税は約1,500万円と推計されます。従来なら、森林の一部売却や借入で工面するしかありませんでした。ところが納税猶予を使えば、80%にあたる1,200万円が猶予され、残り300万円の納付で済みます。この差は劇的です。猶予された80%は、後継者が経営を継続するかぎり納める必要がなく、後継者が生涯にわたって経営を続け死亡した際には、最終的に免除されます。

納税構造 割合 納付タイミング
即時納付 20% 相続税申告期限
納税猶予(条件付) 80% 条件未達時または経営終了時
免除(後継者死亡時) 後継者の生涯後
納付(経営中断時) 条件未達時に追納

使うための条件は決して軽くない

魅力的な制度ですが、要件は厳格です。対象となるのは森林経営計画の認定を受けた30ha以上の森林で、後継者には(1)20年以上または生涯にわたる経営継続、(2)5年ごとの森林経営計画認定の取得、(3)植林・間伐・保育など適切な施業の実施、(4)3年ごとの継続届出、(5)譲渡・転用の制限、そして猶予税額相当の担保提供が求められます。これらを満たさなくなると、猶予されていた税額に利子税を加えて納付しなければなりません。

つまり後継者にとっては、相当に重いコミットメントです。20代〜40代の若い後継者なら受け入れやすい一方、50代以降だと20年継続のハードルは高く感じられます。家族の理解、林業の知識・技能、地域や森林組合との関係構築も欠かせません。単なる相続税対策ではなく、林業経営者としての覚悟が問われる制度なのです。

適用は累計500件、対象見込みには遠く

制度創設(2018年)から2024年度末までの累計適用は、推計で約500件・面積約2万ha。年度を追うごとに件数は伸びています。

年度 新規適用件数 累計 年度面積
2018 約30件 30件 約1,200ha
2019 約60件 90件 約2,500ha
2020 約80件 170件 約3,200ha
2021 約100件 270件 約4,000ha
2022 約110件 380件 約4,400ha
2023 約120件 500件 約4,800ha

とはいえ、対象見込み(経営困難森林100万ha超、超大規模所有者は数千件)に比べれば、まだ少数事例にとどまります。普及が緩やかな理由は、制度の認知度の低さ、申請手続きの複雑さ、20年以上の経営継続条件、担保提供の必要性、そして林業税務に詳しい専門家の不足です。参考にした農業の納税猶予制度が49年で累計約12万件・90万haに達したのと比べると、林業版はまだ普及の入り口にあります。改善策として、対象森林を30haから20haへ引き下げる案、手続きの簡素化・電子化、担保の柔軟化、専門家ネットワークの強化などが議論されており、これらが進めば年間適用件数の本格的な拡大が期待されます。

海外ではどうしているか

森林の相続・承継をめぐる税制は、各国それぞれに工夫があります。日本の制度も、こうした先進国モデルを参考にしつつ、戦後拡大造林の遺産や所有規模の小ささといった日本固有の事情に合わせて設計されました。

主要制度 減免率 備考
ドイツ 森林経営条件付免税 50-100% 長期経営前提
フランス 森林特別減税 75% 30年保有要件
米国 連邦遺産税特例 30-50% 大規模優遇
スウェーデン 森林経営継続前提 低評価 北欧林業重視
豪州 森林経営条件付免税 50-80% 商業林業対象
日本 納税猶予(80%) 80%猶予 2018年創設

いずれの国も「森林経営を継続すること」を減免の条件とする点は共通しています。森林は短期で収益が出にくく、長期保有してこそ多面的機能を発揮する――その特性が、各国の税制に反映されているといえるでしょう。日本でも、森林経営管理法(2019年施行)や森林環境譲与税と組み合わせ、納税猶予制度を森林を次世代に引き継ぐための戦略的ツールとして育てていくことが課題になっています。

30ha未満の小規模な山は対象外?

はい、この制度の直接の対象は森林経営計画の認定を受けた30ha以上の森林です。日本の森林所有者の95%以上は30ha未満の小規模所有者なので、多くは対象外となります。ただし対象要件を20haへ引き下げる案が議論されており、小規模所有者は森林経営管理法による市町村への経営委託など、別の枠組みで支える設計になっています。

専門家のサポートは必要?

ほぼ不可欠です。相続税申告と納税猶予の手続きは税理士、相続登記・担保提供は司法書士、森林経営計画の策定は林業コンサルタントや森林組合が担います。費用の目安は税理士30〜100万円、司法書士10〜30万円、林業コンサル20〜50万円ほど。市町村の林業担当による認定・届出サポートは無料です。複数の専門家のチームワークで、複雑な制度を効果的に活用できます。

途中で経営をやめたらどうなる?

森林を譲渡・転用したり経営を中断したりして条件を満たさなくなると、猶予されていた税額に利子税を加えて納付する必要があります。一方、後継者が生涯にわたって経営を継続し死亡した場合には、猶予税額は免除されます。長期の経営継続を直接後押しする、強いインセンティブが組み込まれているわけです。

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この記事を書いた人

ハウスメーカーで住宅の構造を担当したのち、林業の世界へ。林業・木材・建築の3領域を横断する視点で、Forest Eight の記事を編集しています。

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