九州の鎮守の森を歩くと、まわりのカシ類よりひときわ堂々とした巨木に出会うことがあります。葉を一枚裏返してみてください。鮮やかな黄褐色(金褐色)の毛がびっしり生えていたら、それがイチイガシ(Quercus gilva)です。カシ類のなかでもっとも重く強い木材をつくり、千年級の御神木として各地の神社境内に守られてきた、別格の常緑樹です。
分類はブナ科コナラ属のアカガシ亜属。シラカシ・アラカシ・ウラジロガシ・アカガシといった近縁のカシ類とよく似ていますが、葉裏を見れば一発で見分けがつきます。シラカシは白っぽく、アラカシは灰緑色、アカガシはほぼ無毛。イチイガシだけが、あの金褐色の星状毛をまとっているのです。本州の静岡県以西から四国・九州にかけて分布し、暖温帯の照葉樹林を構成します。
見分け方のポイント
フィールドで出会ったとき、次の点を順に確認すると確実です。
- 葉裏の黄褐色毛──これが最大の決め手。ルーペで覗くと放射状(星状)の毛叢が見えます。
- 葉先が尾状に長く伸びる──カシ類のなかでも目立つ特徴。葉は8〜20cmと長め、上半分に細かい鋸歯があります。
- ドングリが太く大きい──長さ2cmほどの楕円形で、殻斗(帽子)に同心円状の輪紋が入ります。10〜11月に熟します。
- 樹皮は暗灰色〜黒褐色──老木では不規則に縦裂し、地衣類が着きやすい。
- 分布の偏り──山地の自然林より、九州の神社境内に集中して残っているのが特徴です。
カシ類最強の木材
イチイガシの真価は木材にあります。気乾比重は平均0.95で、スギ(約0.38)やヒノキ(約0.42)はもちろん、ケヤキ(約0.69)も大きく上回り、カシ類のなかでも最重・最強クラス。森林総合研究所の試験では、曲げ強さ・圧縮強度・剛性のいずれも高く、とりわけ衝撃を吸収する力(耐衝撃性)が突出しています。針葉樹の3〜5倍ともいわれる粘り強さが、この木の伝説をつくりました。
だからこそ古代から、鍬や鎌の柄、槍や木刀といった武具、船の櫓や舵、建物の柱や梁にと、「折れず曲がらず」が求められる場面で重宝されてきました。福岡県の弥生時代遺跡では木製の鋤・鍬の柄として出土し、当時すでに最高級の実用材だったことがうかがえます。江戸期の武家文書にも「いちひがしの柄は折れず曲がらず」と評され、藩有林からの計画伐採の記録が残ります。
「一位樫」の名は、材質がカシ類で第一位だからとも、皇族の笏に使う「一位(イチイ)」の代用材だったからとも言われます。心材は明るい黄褐色〜赤褐色で、磨くと美しい光沢が出ます。加工は硬くて難しく刃物の摩耗も早いため量産には向きませんが、いまも文化財建造物の修復用材や木刀づくりなど、職人の手仕事のなかで代替のきかない素材として生き続けています。
九州神社林に残る御神木
大分県の宇佐神宮(イチイガシ群が国指定天然記念物)、福岡県の住吉神社、鹿児島県の霧島神宮、宮崎神宮、阿蘇神社──九州の名だたる神社の境内林には、樹齢千年級の巨木が点々と残っています。神域の樹は伐ることが禁忌とされたため、原生に近い照葉樹林が島のように生き延びました。これらの社叢は、いまや失われた暖温帯極相林の貴重な避難場所(レフュージア)でもあります。
林木育種センターは、こうした各地の巨木からDNAサンプルを採取し、地域系統の保存と次世代苗木の供給に役立てています。社叢林は単なる景観ではなく、千年をかけて受け継がれてきた遺伝子の宝庫なのです。
ナラ枯れ病という新たな脅威
近年、イチイガシにも影が差しています。カシノナガキクイムシが媒介する菌(Raffaelea quercivora)によるナラ枯れ病です。コナラやミズナラなど落葉性のナラ類で先行した被害が、温暖化に伴って常緑のカシ類にも広がりつつあり、九州の社叢でも局所的な枯損が報告されはじめました。
対策として、カシナガ捕殺トラップの設置、樹幹への殺菌剤注入、衰弱木の早期伐倒・燻蒸などが進められています。天然記念物の御神木については、自治体・文化庁・林野庁が連携した特別保全プロジェクトも動いています。地元の氏子組織による巡回モニタリングや市民参加の清掃活動も含め、多層的な守りの網が築かれているところです。
観察するなら
常緑樹なので通年見られますが、葉裏の黄褐色毛がもっとも鮮やかになるのは秋から冬。落葉樹が葉を落とすこの時期は、常緑のイチイガシ群落が際立ち、巨木の樹形を写真に収めるにも好機です。秋(10〜11月)には林床に落ちた太いドングリを観察でき、イノシシやカケスなど動物たちの活動も活発になります。天然記念物の木には触れず登らず、ドングリ採集は社務所の許可を得て、遊歩道から静かに楽しみましょう。
なお、九州神社林・社叢林の保全管理やナラ枯れ対策は森林環境譲与税の活用対象にもなっています。制度の詳細は【森林環境譲与税とは】629億円規模・市町村実施率82%の最新動向を参照ください。
よくある質問
アカガシとの違いは?
葉裏を見れば一目瞭然です。イチイガシは鮮やかな黄褐色の星状毛、アカガシはほぼ無毛で淡緑。葉先もイチイガシは尾状に長く伸び、アカガシは丸みを帯びます。心材はイチイガシのほうが明るい黄褐色です。詳しくは【アカガシ】Quercus acuta|超重量・超高剛性の伝統工具・武具材もどうぞ。
庭木にできますか?
関東以南なら植栽は可能ですが、樹高20〜30mに育つ大型樹なので一般家庭の庭には大きすぎます。広い敷地や公園、寺社の記念樹向きです。九州では神社の記念植樹で人気があり、苗木は地元の苗圃から入手できます。
ドングリは食べられますか?
タンニンが極めて多く渋いので生食は不可。水晒しや煮出しを繰り返すアク抜きをすれば、縄文時代から食用にされてきました。現代では主に野生動物の大事な秋の餌資源です。

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