山に降った大雨で、ふだんは澄んだ川が一気に茶色く濁る——そんな光景を見たことがある方も多いでしょう。あの濁りの正体は、斜面から流れ出た土です。森林には、この土の流出を食い止める「土砂流出防備機能」があります。地味ですが、じつは森のさまざまな働きのなかで、お金に換算するといちばん大きい。2001年の日本学術会議の評価では年間28.3兆円とされ、森林の多面的機能のトップに立ちます。
森に覆われた斜面の年間の表土侵食量は1haあたりわずか0.05〜0.5トン。これが裸地になると20〜100トンと、ざっと100倍以上に跳ね上がります。森があるだけで、これだけの土がとどまっている。この記事では、森がどうやって土を守っているのか、そのしくみと、それを支える保安林や治山事業のことを見ていきます。
森が土を守る「3つの層」
森が表土の流出を抑えるしくみは、上から順に3つの層が重なって成り立っています。樹冠(葉や枝)、林床(落ち葉や下草)、そして根。それぞれが役割分担しているのです。
まず樹冠。直径2mmの雨粒は時速30kmほどで地面にたたきつけられ、表土の粒を最大1,000倍も跳ね飛ばす力(スプラッシュ侵食)を持ちます。でも葉や枝を経由して落ちる雨は速度が半分になり、衝撃は4分の1にやわらぎます。次に林床。落ち葉の層(A0層)は厚さ3〜10cm、年間4〜8t/haにもなり、いわば「土の盾」。下草が育った林では地面の95%以上が覆われ、表面を流れる水を雨量の1〜3%まで抑えます。そして根。深さ2〜3mまで張る壮齢の針葉樹は、土の層ごと斜面をつなぎとめ、表層崩壊を防ぎます。
土地の使い方で、流れ出る土はこんなに違う
同じ斜面でも、何に使われているかで土の流出量はまるで変わります。森林を1とすると、草地、傾斜畑、裸地と進むにつれて桁違いに増えていく。下のグラフを見ると、その差は一目瞭然です。
気をつけたいのが伐採跡地です。健全な森を主伐した直後から林冠が回復するまでの3〜7年間は、樹冠も下草も一時的に失われ、年間50〜200t/ha規模まで侵食が増える例もあります。だからこそ、伐る面積を流域で分散させ、伐ったら確実に植え直すことが欠かせません。スギ・ヒノキの主伐後3年以内の植栽を義務づけた森林法の規定は、まさにこの機能を切らさないための制度です。
森を守る制度 ─ 保安林
こうした働きを法律で守るのが保安林です。土砂流出防備保安林は2024年時点で261万ha。保安林全体(1,228万ha)の約2割、国土の約7%にあたります。指定区域では、木を伐るのに県知事の許可が要り、皆伐面積の上限、伐採後3年以内の植栽義務、土地の改変制限などがかかります。
| 保安林種別 | 面積 | 主な効果 |
|---|---|---|
| 土砂流出防備保安林 | 261万ha | 表土侵食抑制・水質保全 |
| 土砂崩壊防備保安林 | 6万ha | 急傾斜地・崩壊危険地区 |
| なだれ防止保安林 | 2万ha | 積雪地帯の斜面安定 |
| 落石防止保安林 | 3万ha | 岩壁直下道路保護 |
| 飛砂防備保安林 | 2万ha | 海岸砂丘地 |
| 合計(治山系) | 274万ha | 国土の7.2% |
指定箇所の約6割は傾斜30度を超える急斜面に集中しています。樹種別では針葉樹人工林が約55%と、広葉樹天然林(約40%)を上回ります。これは戦後の拡大造林期に、水と土を守る目的でせっせと植林が行われた歴史の名残でもあります。
自然の力を補う「治山事業」
森の自然の力だけでは守りきれない場所もあります。そこを人工の構造物で補強するのが治山事業です。林野庁が所管し、2024年度予算で約1,200億円(国費)。土留工や谷止工、落石防止工、斜面の緑化などを通じて、崩れやすい山腹や荒れた渓流を立て直します。
全国の山地災害危険地区は約23万箇所。このうち治山施設が整備済みなのは約8万箇所で、約15万箇所がまだ手つかずです。1箇所あたりの整備費は2〜5千万円ほどなので、未整備分をすべて整えるには3〜7兆円規模が必要という試算もあり、年1,200億円のペースでは数十年がかり。だからこそ、森そのものが持つ被覆や根の力——保安林として状態を保つこと——と、治山施設の整備という両輪で、国土の防災が支えられているのです。
「手入れ」が機能を左右する
森があれば自動的に土が守られる、というわけではありません。間伐が遅れて木が密集し、下草が消えた人工林では、林床がはげて表面流出が増え、侵食量が健全な林の3〜5倍に達することもあります。逆に、ほどよく(伐採率20〜30%)間伐された林では地面に光が入って下草が回復し、土の水はけも改善して、侵食が3〜5割減ったという報告もあります。
とくに課題なのが、伐ったあとの植え直し(再造林)です。全国の再造林率は2022年時点で約4割にとどまり、残り6割は伐採跡地のまま放置されているのが現状。跡地は侵食リスクが高い状態が続くため、確実な再造林は土砂流出防備の観点からも重い宿題になっています。造林補助・主伐再造林補助といった制度は、この機能を途切れさせないための支えでもあります。
気候変動という新たな負荷
近年の豪雨の激しさは、森の守りにも重くのしかかっています。1時間に50mm以上という激しい雨の発生回数は、1980年代に比べて約1.5倍。土がため込める量を超える「どか降り」が増えれば、森林でも土層の深いところから崩れる「深層崩壊」が起きやすくなります。2018年の西日本豪雨などでは、保安林に指定された森でも大規模な崩壊が相次ぎ、表層崩壊を抑える森林の力にも限界があることが見えてきました。
そこで国土交通省と林野庁は、2021年から「流域治水」という考え方を本格化させています。森林・農地・河川・都市インフラをひとまとめに扱い、流域全体で水と土をため込む力を最大化しようというものです。森林の側では、長伐期施業による林冠の安定化、針広混交林化、皆伐面積の分散、林道法面の緑化などが組み込まれ、森林環境譲与税の使い道にも市町村単位の治山機能強化が含まれるようになりました。
よくある質問
森林1haで年間どれくらいの土砂流出を抑えられますか?
健全な森林1haの年間表土侵食量は0.05〜0.5トン。裸地(20〜100t/ha)と比べると、おおむね20〜100トン近くの流出を抑えている計算になります。森林2,500万ha全体では年間およそ5億〜25億トン規模。この働きを治山施設で代替したらいくらかかるか、という代替費用法で見積もった額が年間28.3兆円(2001年・日本学術会議)です。
主伐後の跡地で侵食量はどう変わりますか?
主伐の直後3年間がもっとも危険で、年50t/ha規模(壮齢林の100〜500倍)まで増えることがあります。樹冠と下草が同時に失われ、雨の衝撃と表面流が直接斜面に作用するためです。再造林後5〜7年で林冠が戻れば、侵食量は健全な林の水準に落ち着きます。確実な植え直しと、下草の早い回復が機能維持のカギです。
治山事業と森の自然の力は、どう役割分担していますか?
治山事業は土留工や谷止工といった人工構造物による補強が中心で、崩れやすい箇所をピンポイントで固めます。一方、森林の自然の力(樹冠・林床・根)は、ふだんの土壌侵食を広く面で抑えます。日常的な守りは森が、リスクの高い場所の補強は治山施設が——この組み合わせで国土の保全が成り立っています。

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