漆生産|国産漆の伝統的工芸品需要

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漆塗りのお椀や重箱は、いまも日本の食卓やお祝いの席を彩っています。その黒や朱の深い艶を生み出すのが、ウルシノキ(Toxicodendron vernicifluum)から採れる天然の樹液「漆」です。ところが、その国産漆がいま、消えかけている。2022年の国内生産量はわずか約2.2t。年間の需要30〜40tに対して、なんと95%を中国・ベトナム・ミャンマーなどからの輸入に頼っているのが実情です。この記事では、危機的なまでに細った国産漆の現状と、それを支えようとする動きをたどります。

国産漆生産 2.2 t/年(2022) 需要の5% 浄法寺漆・茨城 輸入漆 30〜40 t/年 中国80% 国産比15〜20倍 植栽面積 500 ha 全国推計 岩手最大 漆掻き職人 30 人(全国) 高齢化進行 後継者不足
図1:日本産漆の主要諸元(出典:林野庁、農水省「特用林産物生産統計」、文化庁)
目次

50年で10分の1に縮んだ国産漆

かつて日本の漆生産は、明治期の最盛期で年間100t規模を誇りました。それが戦前は50t、戦後高度成長期は20〜30tと減りつづけ、2022年にはついに2.2tに。およそ50年で10分の1から15分の1まで縮んだ計算です。原因は複合的で、プラスチックや合成塗料の普及で漆器の需要が縮んだこと、安価な輸入漆(とくに中国産)の流入で国産が価格で勝てなくなったこと、そして何より漆掻き職人の高齢化と激減(最盛期1,000人以上→現在約30人)が大きく効いています。

潮目が変わったのが2015年です。この年、文化庁が「国宝・重要文化財建造物の修理には原則として国産漆を使う」という通知を出しました。日光東照宮、中尊寺金色堂、薬師寺東塔、興福寺中金堂──こうした大規模な文化財修理には、1件あたり100〜500kg規模の国産漆が必要になります。この需要が下支えとなり、国産漆の生産量はわずかながら回復基調に転じました。とはいえ、現状の2.2tでは限られた文化財需要にしか応えられないのが現実です。

岩手・浄法寺が全体の7割を支える

国産漆の主役は、岩手県です。とくに二戸市浄法寺町・八幡平市を中心とした地域が、全国生産量のおよそ70%を占めます。ここで採れる「浄法寺漆」は2015年に地理的表示(GI)保護制度に登録された地域ブランドで、平安時代から続く漆掻き技術が今も受け継がれています。次いで茨城県(大子漆)、栃木県(茂木町・那珂川町)が続き、いずれも東日本の冷涼な気候と適した土壌のもとでウルシノキが育てられています。

産地 生産量 シェア 地域特徴
岩手県 約1.5t 約70% 浄法寺漆(GI登録)、八幡平市・二戸市
茨城県 約0.4t 約18% 大子漆、常陸太田・大子町
栃木県 約0.2t 約9% 茂木町・那珂川町
その他 約0.1t 約3% 新潟(越後漆)・福島・長野等

浄法寺漆の歴史は古く、江戸時代には南部藩の主要産品として地域経済を支え、明治・大正期にも全国の漆生産の中核を担いました。戦後の縮小を経て、1990年代以降の文化財修理需要の回復、文化庁の国産漆原則化、地域ブランディングの強化が重なり、いま段階的な再生が進んでいます。地元自治体・林野庁・文化庁の連携で、職人の育成、ウルシノキの植栽拡大、製品の販路開拓が進められています。

1本の木から、たった200グラム

漆がこれほど貴重なのには、採取の仕組みそのものに理由があります。ウルシノキは落葉広葉樹で、植えてから採取の適齢を迎えるまで15〜30年。漆掻きは6〜10月の生育期に、専用の鎌で幹に水平の傷をつけ、にじみ出る樹液を竹べらで集める手作業です。4〜5日に1回のペースで15〜20回ほど掻き、それでも1本の木から1シーズンに採れるのは、わずか200〜300g。しかも採取を終えた木は弱ってしまうため、原則としてその年で伐採し、新たに苗を植えて世代交代させます。「掻いては伐る」を繰り返すこの方式を、漆掻きの世界では「殺し掻き」と呼びます。

つまり、現在の生産量2.2tを支えるには、毎年50〜100ha規模の採取適齢のウルシ林が必要になります。植栽から採取まで15〜30年というタイムラグを考えると、いま苗を植えなければ、十数年後の漆は採れません。長期計画的な植栽の継続が、何よりも重要なのです。職人1人あたりの年間採取量は5〜15kg程度。全国に約30人しかいない漆掻き職人の高齢化が、いかに深刻な問題かが見えてきます。

輸入漆との品質差と、文化財という砦

輸入漆は中国産が約80%(年間約25t)を占め、ベトナム10%、ミャンマー5%と続きます。価格は精製品でkg5〜8万円ほどで、国産漆(kg20〜30万円)の3分の1から4分の1。これだけ差があれば、一般の漆器や工芸品で輸入漆が使われるのも当然です。品質面では、漆の主成分であるウルシオールの含有量が国産は65〜70%と高く、乾燥後の硬度・耐久性・光沢で優れるとされます。輸入漆は55〜65%程度で、用途によっては十分な性能を発揮します。

項目 国産漆 輸入漆(中国産)
ウルシオール含有量 65〜70% 55〜65%
精製品価格 kg当り20〜30万円 kg当り5〜8万円
主要用途 文化財修理・高級工芸 一般漆器・量産工芸
供給安定性 限定的(年間2.2t) 豊富(年間25t以上)

漆という素材のすごさは、その耐久性にあります。空気中の水分との酸化重合で硬化し、完全に固まるまで1ヶ月以上かかりますが、いったん固まれば紫外線や酸性雨にも強く、1,000年もつことが実証されています。12世紀建立の中尊寺金色堂の漆塗りが今も原形をとどめているのは、その証拠です。文化財修理で国産漆を原則とする政策は、こうした長期耐久性と伝統技法との整合性、そして産地の真正性を重視した判断といえます。輪島塗・会津塗・京漆器といった伝統産地でも、人間国宝や伝統工芸士の作品、特注の高級ラインでは国産漆が使われ続けています。

2030年へ、4トンを目指して

後継者不足は、漆産業の存続そのものに関わる問題です。約30人の漆掻き職人のうち、6割以上が60代以上。若手は数人にすぎません。収入が安定しにくい(年収200〜400万円規模)、採取期間が6〜10月に限られる、技術習得に5〜10年かかる、地方の中山間地での就業が前提になる──こうした壁が、新規参入を阻んできました。これに対し、岩手県浄法寺や茨城県大子などの産地では、自治体・林野庁・文化庁が連携した研修制度、所得補償や補助金、地方移住の支援、観光連携などの取り組みが少しずつ進んでいます。

国は2030年に向けて、生産量を現状の約2倍にあたる4tへ引き上げる目標を掲げています。柱は5つ。ウルシノキの植栽拡大(500ha→800〜1,000ha)、漆掻き職人の育成(30人→60〜80人)、文化財需要の安定化、地域ブランドの強化、そして輸出開拓です。岩手県浄法寺町では、漆掻き体験ツアーや工房見学、地元温泉との連携で年間数千人の観光客を集めるなど、漆を核にした地域づくりも始まっています。世界の漆生産量約2,000〜3,000tのなかで日本産2.2tは0.1%程度の極小プレイヤーですが、品質では世界トップクラス。GI登録と品質保証を武器に、海外の高級用途を開拓できるかが、これからの10年の鍵になりそうです。

よくある質問

なぜ国産漆はこんなに少ないの?

明治期の年間100tから段階的に縮小してきた要因は複合的です。プラスチック・合成塗料の普及による漆器需要の縮小、安価な輸入漆(とくに中国産)の流入による価格競争力の低下、漆掻き職人の高齢化・減少(1,000人以上→約30人)、ウルシノキ植栽面積の減少、後継者不足が重なりました。1990年代以降の文化財修理需要の回復と2015年の文化庁通知により、いまは緩やかな回復基調にあります。

国産漆と輸入漆はどう違うの?

品質面では、国産漆は主成分ウルシオールの含有量が65〜70%と高く、乾燥後の硬度・耐久性・光沢に優れます。輸入漆(中国産)は55〜65%程度。価格は国産(kg20〜30万円)が輸入(5〜8万円)の3〜5倍です。そのため国産漆は文化財修理や高級工芸用、輸入漆は一般漆器や量産工芸用、というふうに使い分けられています。

漆掻きは1本の木で何回できるの?

1本のウルシノキは、1シーズン(6〜10月)に4〜5日に1回・計15〜20回掻いて、合計200〜300gの漆を採ります。採取が終わった木は弱るため、その年で伐採するのが原則。樹液を多く失った木は再採取せず、新たな苗の植栽で世代交代させます。植栽から採取適齢まで15〜30年というサイクルで運営される、息の長い営みです。

出典・参考:農林水産省「特用林産物生産統計」林野庁「漆生産」文化庁農林水産省「地理的表示(GI)保護制度」

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この記事を書いた人

ハウスメーカーで住宅の構造を担当したのち、林業の世界へ。林業・木材・建築の3領域を横断する視点で、Forest Eight の記事を編集しています。

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