「地籍調査(ちせきちょうさ)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。土地の所有者・地番・地目・面積・境界を、国や自治体が公的に測り直して地図と台帳に整える事業のことです。1951年の国土調査法に基づいて70年以上も続けられてきましたが、2023年時点の全国進捗率はようやく約52%。しかも林地に限ると約48%と、平野部や宅地より遅れています。この遅れが、森林経営管理制度や災害復旧、公共事業の用地買収など、いろいろな場面で足かせになっているのです。なぜ森の地籍調査はこんなに進まないのか、ひもといてみます。
明治の「不完全な前史」を作り直す70年
そもそも日本には、明治期の地租改正(1873年〜)でつくられた古い公図(地籍図)があります。ただ、これは縄や歩測による簡易な測量と所有者の自己申告に頼ったもので、場所によっては数十m〜数百mの誤差があり、現代のGISと照らすと大きく食い違います。この不完全な公図を、戦後の地籍調査で一から作り直しているわけです。ドイツやフランス、韓国・台湾などはすでにほぼ完全整備を終えており、明治にいち早く全国の地籍を整えようとした日本が、その精度不足ゆえに70年たっても未完了――という、世界でも珍しい状況になっています。
調査は、計画準備→一筆地調査(所有者の立会いで境界を確認)→測量→地籍図・地籍簿の作成→認証・公告・登記、という5段階で進みます。1地区(数〜数十km²)で3〜10年かかるのが普通で、所有者が立ち会えないと中断・長期化します。
森の境界には、目印がない
林地が遅れる理由は、森ならではの事情にあります。宅地や農地にはフェンスや畦、道路といったはっきりした境がありますが、森ではそうはいきません。頼りになるのは稜線や沢、古い境界木や標石くらいで、これらは経年で傷み、消え、地形の変化で分からなくなっていきます。境界そのものが山奥にあり、急斜面と密な植生をかき分けて現地を確かめる労力も相当なものです。
さらに所有者の問題が重くのしかかります。林地の所有者は代を経て都市部へ移り、現地の境界を知る人がいなくなっていることが多い。相続未登記などで連絡がつかない「所有者不明地」も森林に集中しており、その割合は林地で約26%(約670万ha)に達すると推定されます。立会いができなければ境界は確定できず、測量コストも宅地・農地の3〜5倍。こうした事情が積み重なって、林地の地籍調査は後回しにされがちなのです。
地域差が驚くほど大きい
進捗率は都道府県でまるで違います。佐賀99%、愛知95%、宮城85%と8割を超える先進県がある一方、京都8%、大阪9%、神奈川16%、奈良22%と2割前後にとどまる地域もあります。平野が多く所有者の協力が得やすい県は進み、山岳地・複雑地形・寺社地・古都の入り組んだ所有関係を抱える地域は難航する、という構図です。京都・奈良の遅れの背景には、明治期測量の不整合が複雑に絡む歴史的経緯もあります。コスト面の差も大きく、平野部の農地は1km²あたり300〜600万円で済むのに対し、奥地の急傾斜林地では3,000〜6,000万円に跳ね上がります。
| 地区類型 | 調査費用の目安 | 主な要因 |
|---|---|---|
| 平野部農地 | 1km²あたり 300〜600万円 | 境界明瞭・協力良好 |
| 山村集落・農地 | 800〜1,500万円 | 所有者多・複雑地形 |
| 林地(緩傾斜) | 1,500〜3,000万円 | 所有者不在・境界不明瞭 |
| 林地(急傾斜・奥地) | 3,000〜6,000万円 | アクセス困難・植生密 |
| 都市部(DID) | 4,000〜10,000万円 | 所有者極多・地代高 |
未調査の約14万km²をならすと、残りの事業費はおよそ2.8兆円規模。年間予算が数百億円の現状では、このペースだと完全整備まで数十年かかる計算です。
リモートセンシングが流れを変えるか
そこで期待されているのが技術の力です。2020〜2029年の第7次国土調査事業10箇年計画では、航空レーザー測量(LiDAR)やドローン、衛星画像、AIによる境界候補の自動抽出などを取り入れ、調査の効率化を進めています。特に林地では、上空からの計測と現地踏査を組み合わせることで、時間・労力・コストを3〜5割削減できる可能性が指摘されています。計画では2029年までに全体進捗率を57%程度へ引き上げる目標が掲げられています。
ただし、技術がすべてを代替するわけではありません。所有者の立会いや現地確認といった人の手による工程は依然として欠かせず、技術と人のプロセスをどう組み合わせるかが、これからの地籍調査の速さと質を左右します。
森林政策の土台として
林地の境界が曖昧なままだと、2019年に始まった森林経営管理制度がうまく回りません。所有者や境界がはっきりしない森では経営権の集積が事実上難しく、引き受ける林業事業体も少ない。だからこそ森林環境譲与税(年間約620億円規模)の主要な使い道の一つが、まさに「林地境界の明確化」事業になっています。市町村はこの財源を使って、本格調査の前段階となる山村境界先行調査や所有者意向調査、ドローン測量などを進めており、2019年以降の累計で数百億円規模が境界明確化に投じられたとみられます。
地籍調査は地味で目立たない事業ですが、災害復旧の場面ではその価値がはっきり表れます。東日本大震災では地籍整備率の高かった宮城県で用地買収がスムーズに進み、逆に整備の遅れていた能登半島地震の被災地では復旧の足かせになりました。境界が分かっていれば、消失・変動した境界も災害前のデータから復元できます。地籍調査は、いわば防災への「事前投資」。林地の境界を明らかにしていく地道な作業が、これからの日本の森林管理と国土の未来を静かに支えていくのです。
よくある質問
Q. 地籍調査は誰がやるのですか?
実施主体は市町村で、国(原則1/2)と都道府県が費用と技術面を支援します。境界の確認には土地所有者の立会いが必要です。
Q. なぜ林地は宅地より遅れているの?
森にはフェンスや畦のような明確な境がなく、所有者が現地を離れて境界を知らない、相続未登記で連絡がつかない、測量コストが3〜5倍――といった事情が重なるためです。
Q. 所有者不明の森林はどう扱われますか?
2018年の所有者不明土地法やその後の改正で、一定の条件のもと市町村が職権で境界確定や利用・管理を進められる仕組みが整いつつあります。

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