「先祖代々の山を持ってはいるけれど、もう何十年も手入れしていない」――そんな不在村の森林所有者は珍しくありません。日本の民有林約1,740万haのうち、所有者がその森林のある市町村に住んでいない「不在村」の森林は約410万ha、実に26%にのぼります。こうした所有者が、所有権は手元に残したまま、施業や木材販売、収益分配を信託銀行や森林組合に委ねる――それが「森林信託」です。2010年代後半から複数の金融機関や森林組合が商品化を進めてきた、林業の新しい金融イノベーション。この記事では、その仕組みと代表事例、そして普及を阻む壁を見ていきます。
森林信託とは、どういう仕組みか
森林信託は、信託法・信託業法に基づく財産信託の一種です。委託者である森林所有者が、森林の所有権を受託者(信託銀行・森林組合など)に移転し、受託者が信託目的に従って森林を経営・管理し、収益を委託者または受益者に分配します。最も一般的なのは、委託者と受益者が同じ「自益信託」。相続税対策として受益者を後継者にする「他益信託」も設計できます。
信託契約を結ぶと森林の所有権は法的に受託者へ移ります。ただし信託財産は受託者の固有財産とは区分して独立管理され、仮に受託者が破綻しても保全されます(信託法23条の倒産隔離)。委託者は契約終了時に所有権を取り戻すか、信託期間中の施業収益を受益権として受け取る――つまり「経営からは手を引くが、財産価値は手元に残す」という形が実現できるわけです。契約条件によって、施業と財産管理に限る「管理型」、伐採・販売まで受託者が判断する「運用型」、信託期間内の主伐・売却を前提とする「処分型」に分かれますが、日本では長伐期性と所有意識の強さを反映し、管理型・運用型のハイブリッドが主流です。
誰が商品を出しているのか
日本で森林信託を最初に商品化したのは三井住友信託銀行です。2020年8月、岡山県西粟倉村で複数の個人山林所有者から山林をまとめて受託する国内初の森林信託を開始しました。受託面積は当初約10haという小さな一歩で、信託期間は10年以上、期間終了後は希望すれば所有権を委託者に戻す設計です。施業の実務は、住友林業と西粟倉村が設立した森林経営の専門会社(百森)などが担い、最新の測量技術やITを使う「スマート林業」を組み合わせています。その後、住友林業と三井住友信託銀行は再造林の加速などをテーマに連携を広げており、他の信託銀行や森林組合でも同様の取り組みへの関心が高まっていますが、全国的にはまだ少数の先行事例にとどまります。
森林信託の設計は事業者ごとに違いがあります。最低受託面積、信託報酬率、施業実行の主体(信託銀行の提携先か地域の林業事業者か)、信託期間の長さなどが商品性を左右します。先行する信託銀行モデルは専門的な施業ノウハウを確保できる反面、対応できるエリアがまだ限られる。森林組合が地域単位で似た仕組みを模索する動きもあり、地域密着で組合員ネットワークを活かせる一方、受託規模はやはり小規模にとどまりがちです。市場全体としてはまだ立ち上がったばかりの段階で、全国の不在村森林(数百万ha規模)に対して受託が及んでいる面積はごくわずかです。
なぜ不在村所有者にとって意味があるのか
森林信託の市場は、日本の森林所有構造そのものと直結しています。民有林約1,740万haのうち不在村森林は約410万ha(26%)、さらに所有者不明森林も約93万ha存在します。不在村の所有者は経営の意欲や知識に乏しく、施業されないまま放置されがちで、水源涵養や土砂流出防止といった森林の多面的機能を含めた管理が地域の課題になっています。
この問題に対し、森林経営管理法(2019年施行)は市町村が経営管理権を集積する「公的代行」を用意しました。森林信託は同じ課題を「私的な金融商品」として解く代替手段です。所有者は手数料を払いながら収益分配を受け取り、市町村の業務負担に頼らず経営を継続できます。両者は補完関係にあり、採算性が低い・所有者不明の小規模林は経営管理制度が、採算の見込める中規模の優良林(30〜200ha)は森林信託が、それぞれ主な対象になります。市町村が経営管理権を集積したうえで信託銀行に再委託するハイブリッドも理論上は可能で、制度設計の議論が続いています。
お金の流れ――信託報酬と手取り
経済性を考えるうえで鍵になるのが、信託報酬と運用収益のバランスです。信託報酬はおおむね収益の2〜5%、または信託財産価額の0.5〜1%程度。たとえば30haの森林を20年信託し、主伐3,000万円+間伐500万円で計3,500万円の収入が出たケースでは、信託報酬は170〜180万円程度。ここから造林・下刈・間伐などの施業実行コストを差し引いた純収益が委託者に分配されます。
このモデルでは、委託者の手取りは年あたり約3万円/ha。決して大きな額ではありませんが、ポイントは比較対象です。不在村の所有者が自分で経営しようとすれば、施業コストと管理の手間で実質的な手取りはゼロかマイナスになることが多い。森林信託の経済合理性は、「自分で経営しないこと」の機会費用を減らせる点にあります。収益を左右する変数は、立木価格(過去20年で1m³あたり13,000円→6,000円台に下落、近年は回復傾向)、主伐齢期、路網密度、補助金活用(再造林・間伐の補助率68〜90%)、木材市況の変動など。いずれも数十年単位の長期投資として評価する必要があり、受託者の運用ノウハウとリスク管理能力が商品の信頼性を決めます。
税務上は、信託法の原則として委託者課税が適用されます(所得税法13条)。自益信託なら主伐収入は委託者の山林所得として申告対象となり、5分5乗方式や森林計画特別控除も同様に使えます。受益者を後継者にする他益信託にすれば、生前贈与に近い効果で林業承継の早期化と世代を超えた管理継続を両立でき、相続対策としても注目されています。
ESG・カーボンクレジットとの接続
近年は、森林信託にJ-クレジットの発行・販売を組み合わせ、ESG志向の企業・投資家に提供する構想も語られるようになってきました。信託によってまとまった面積で管理される森林は、森林経営計画の認定やJ-クレジット申請の単位としても扱いやすく、ネイチャーポジティブやSBTi目標を掲げる企業のニーズとも相性がよいと見られています。森林信託の役割が、単なる林業経営の代行から、ESG金融商品市場への接続へと広がっていく可能性がある分野です。
世界と比べると、まだ入り口
海外に目を向けると、森林信託・林業ファンドの市場規模は日本の数十倍に達します。米国のTIMO(Timber Investment Management Organization)は1980年代から発達し、運用資産は約750億ドル(約11兆円)、保有森林面積は約1,000万ha。年金基金・大学基金・財団といった機関投資家が主要な投資家層で、年間収益率は4〜8%程度です。欧州(フィンランド・スウェーデン・ドイツ)でも合計約2兆円規模、豪州・ニュージーランドでも約1兆円規模の運用市場があります。日本の森林信託はここから10〜20年の遅れにあり、海外モデルの参照と、小規模分散所有・所有意識の強さという国内固有事情への対応の両面が求められています。
普及を阻む壁
活用拡大には、いくつもの壁が立ちはだかります。複数所有者をまとめる必要があるため、ある程度の面積規模がないと採算が合いにくく、小規模所有者は事実上対象になりにくい。信託報酬は委託者の実質手取りを圧迫しますし、立木価格が長期低迷してきたことも収益性を下げる要因です。さらに、不在村所有者の多くは「先祖代々の山」を手放すことへの心理的な抵抗が強く、所有権移転を伴う契約にためらいを覚えます。税務処理が複雑で、対応できる税理士が限られることも障壁です。
こうした課題に対し、受益権の小口化(相続しやすいよう分割する)やデジタル管理プラットフォームによる施業の透明化、より小さい面積からでも受託できる仕組みづくりが模索されています。森林経営管理制度との連動――市町村が集積した経営管理権を信託へ移し、信託から再委託する――も論点に上っており、私的・公的の両スキームをどう相互運用していくかが、今後の制度発展の鍵になりそうです。
よくある質問
信託すると所有権は失われますか?
契約により法的な所有権は受託者に移りますが、委託者は信託受益権という形で経済価値を保持します。信託期間が終われば所有権が委託者に戻る契約が一般的で、受益権は相続・譲渡も可能です。実質的な財産価値は手元に残ります。
どのくらいの規模の所有者が使えますか?
先行事例は複数所有者の山林をまとめて受託する形が中心で、商品によって想定する規模は異なります。今後、対応できる面積の幅が広がっていけば、在村の所有者にとっても経営委託の選択肢の一つになっていくと見られます。
森林経営管理制度とは何が違いますか?
森林経営管理制度は市町村が公的に経営管理権を集積し、無償または低費用で経営を引き受けて意欲ある林業事業者に再委託する制度です。森林信託は信託銀行・森林組合などが私的な金融商品として経営を代行し、信託報酬を徴収します。前者は不採算林も引き受け、後者は採算の見込める中規模林を対象とする設計です。

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