「TNFD」という言葉を、ここ一、二年で急に耳にするようになった方は多いと思います。気候変動の情報開示で知られるTCFDの「自然版」にあたる枠組みで、企業が森林や水、生物多様性といった自然資本との関わりをどう開示するかを定めたものです。2023年9月に最終フレームワーク(v1.0)が公表され、2024年から本格的に世界で開示が始まりました。
面白いのは、ここでも日本企業が前のめりだという点です。TNFDの早期採用者(Early Adopters)として登録した企業は世界で約320社。そのうち日本企業が81社と国別で世界1位、全体の約4分の1を占めています。TCFDで積み上げた経験がそのまま生きている格好です。この記事では、森林に関わる人の視点から、TNFDが何を求めていて、林業や木材・紙パルプ・商社・金融といった業種にどんな意味を持つのかを整理してみます。
TNFDは「4本柱」でできている
TNFDの開示は、ガバナンス・戦略・リスク管理・指標と目標という4つの柱で構成されます。この骨格はTCFDとまったく同じで、すでにTCFD対応をしてきた企業にとっては馴染みやすい設計です。ただし「気候」と「自然」では難しさが違います。気候変動はCO2換算という単一のものさしで測れますが、自然は森林被覆・水・土壌・生物多様性・受粉……と多次元で、地域ごとの固有性も強い。だから標準化に時間がかかります。
TCFDと大きく違うのは、「優先地域の特定が必須」という点です。自然は場所によって意味がまったく変わるため、「うちの事業やサプライチェーンが、地球上のどこの自然と関わっているか」を地理的に突き止めることが出発点になります。これがTNFDの肝であり、森林に深く関わるところです。
森林は「自然資本」の中心にいる
森林は、TNFDが扱う自然資本のなかでも中核的な存在です。直接保有する森林だけでなく、木材・パーム油・大豆・牛肉・コーヒーといったサプライチェーン上流の森林由来原材料、違法伐採や森林転換のリスク、森林由来カーボンクレジットとの接続など、評価の論点は多岐にわたります。業種によって、その重みはかなり違います。
| 業種カテゴリ | 主要な森林関連リスク | 開示優先度 |
|---|---|---|
| 林業・木材製品 | 直接森林経営、認証取得状況、再造林率 | 最優先 |
| 紙パルプ | 原料原産地、認証材比率、リサイクル率 | 最優先 |
| 商社 | 取引商品の原産地トレーサビリティ | 最優先 |
| 食品・飲料 | パーム油・大豆・コーヒー由来森林破壊 | 高 |
| 金融機関 | 融資・投資先のサプライチェーン森林 | 高 |
| 建設・住宅 | 構造材・合板の調達持続性 | 中 |
林業の現場に身を置く方にとって、TNFDは「面倒な開示義務」というより、自分たちの経営実態を国際投資家に伝えるための共通言語と捉えたほうが実態に近いかもしれません。FSC・PEFCの認証取得率、再造林率、間伐の実施面積、保有林の生物多様性価値——こうした数字が、そのまま投資家側の評価に直結する設計になっているからです。
分析の手順は「LEAP」
TNFDが推奨する分析手順が、LEAPアプローチです。Locate(位置特定)→Evaluate(評価)→Assess(査定)→Prepare(準備)の4段階で進めます。なかでも起点になるのが最初のLocate。自社やサプライチェーンが世界のどの森林に関わっているのかを、衛星画像やGISマッピングを使って具体的に特定します。従来のサステナビリティ報告では曖昧になりがちだった「具体的な場所」を、いやでも明示させる——ここが従来の開示と決定的に違うところです。
日本企業の対応 ─ 早期採用者81社の内訳
日本の早期採用者81社を業種別に見ると、金融機関がおよそ20社と最多で、メガバンク・大手保険・運用会社が名を連ねます。商社は5大商社が全社参加、食品・飲料、紙パルプ、林業・住宅と続きます。森林に関わる業種の対応率は約6割と高く、業界としては先行している領域です。住友林業、王子ホールディングス、日本製紙、三井物産、三菱商事、三菱UFJ、東京海上といった顔ぶれが代表例です。
日本がここまで前のめりな理由は、ひとつにはTCFDで先行してきた経験の蓄積、もうひとつは経団連・環境省・金融庁が連携して啓発・支援を進めてきたこと、そしてサプライチェーンが海外に広がる商社・食品・林業企業の早期参加が大きいといえます。先行する分だけ、業種別ガイダンスに日本の産業特性を反映させる発言力も持てる——そういう実利もあります。
規制との連動 ─ EUDRが効いてくる
TNFDが「任意の開示」にとどまらず実効性を帯びてきているのは、各国の規制と連動しているからです。代表格がEUのEUDR(森林破壊フリー規則)。2025年12月から本格適用され、木材・パーム油・大豆・牛・コーヒー・カカオ・ゴムの7品目について、「2020年以降に森林破壊された土地由来でないこと」のデュー・ディリジェンスを義務づけます。日本企業もEUに輸出するなら対象で、原産地トレーサビリティと森林破壊フリーの証明が必須。違反には売上高最大4%の罰金やEU市場からの締め出しという、かなり重い制裁が用意されています。
日本国内でも、クリーンウッド法(合法木材調達促進法、2017年施行)の改正で、合法性確認の強化が議論されています。改正後は登録事業者に対し、調達木材の合法性確認文書の保管や第三者検証の導入など、TNFDと整合する管理水準が求められる方向です。「任意の情報開示」のつもりが、気づけば実質的な規制対応のフレームワークになりつつある、というのが正直なところです。
森林由来クレジットとの接続
森林由来のカーボンクレジット(J-クレジット、VCS、Gold Standardなど)は、TNFD開示では「ネイチャーポジティブへの貢献」として位置づけられます。ただし、ここで問われるのはクレジットの「中身の質」です。具体的には、(1)そのクレジットがどの森林に由来するのか、(2)生物多様性への副次効果はあるか、(3)永続性(一度貯めた炭素が逆戻りしない仕組み)、(4)追加性(そのプロジェクトがなければ実現しなかった分か)——この4つの軸で評価されます。質の低いクレジットでお茶を濁すと、かえってグリーンウォッシュと見なされて開示の信頼性を損ねる。だからこそ、購入するクレジットの目利きが大切になります。
林業・森林経営者にとっての意味
では、実際に山を持ち、木を育てている人にとって、TNFDは何を変えるのでしょうか。大きく3つの面があります。
まず資金調達。ESG投資家やグリーンボンドの投資家は、林業企業のTNFD開示を投資判断の前提として見はじめています。林業のように長い時間軸で投資が必要な事業では、資本コストが1%違うだけで事業計画の現実味が変わります。開示の質が、そのまま借入や出資のしやすさに跳ね返ってくるわけです。
次に取引機会。住宅メーカーや建設会社、紙パルプ大手が、サプライヤーを選ぶ基準にTNFD準拠の状況を組み込みはじめています。つまり開示が「販路の条件」になりつつある。森林組合や大規模な森林経営者にとっては、早めに準備を始めておくこと自体が競争上の強みになります。
そして経営の透明性。TNFDが求める境界の明確化、施業履歴、認証取得状況、生物多様性の評価——こうした情報を体系立てて整える過程で、結果的に経営管理そのものの質が上がります。森林経営管理制度やJ-クレジット、FSC/PEFC認証と一体で運用できれば、開示対応がそのまま経営の底上げにつながるはずです。
中小規模の事業者には、必要最小限のデータで対応できる簡易版「Express LEAP」が用意されています。森林組合連合会や林業関係団体が共同で開示テンプレートを整える動きも出てきており、「大企業だけの話」ではなくなりつつあります。
よくある質問
TNFD開示は強制ですか、任意ですか?
現時点(2024年〜)では任意ですが、各国で法定開示への統合が進んでいます。日本でも金融庁・東証のガイダンスでサステナビリティ情報の一部として参照が広がっており、上場企業は実質的に準備が必要な段階です。ISSB(国際サステナビリティ基準審議会)がTNFDをベースに国際基準化を検討しており、2026〜2027年頃には法定開示としての色合いが一段と強まる可能性が高いと見られています。
森林に関係しない業種でも対応は必要ですか?
多くの業種に何らかの自然依存があるため、対応が推奨されます。食品・飲料は水や農地、受粉に依存し、ITサービスも電力・水・用地を通じて間接的に関わります。森林は自然資本の主要要素ですが唯一ではなく、業種ごとに重要な自然要素は異なります。まずはLEAPのLocateで自社の自然関連エクスポージャーを特定するのが、業種を問わない最初の一歩です。
対応にはどれくらいコストがかかりますか?
大企業の場合、初期の分析・データ収集・専門コンサル・第三者保証などで数千万円〜1億円規模、継続運用は年間数百万〜数千万円が目安とされます。一方、中小企業向けには簡易版のExpress LEAPがあり、最小限のリソースで進められます。林業企業なら、既存のFSC/PEFC認証維持や森林経営計画作成のコストと統合して運用するのが、効率化の鍵になります。

コメント